先取りして壊して行くということ:社会が過剰に安定しようとするから、内なる声を聞いて、自ら壊れる機会をつくる。
2022年5月14日
先日、松本紹圭さんが、産業僧として「社内出家」をすすめている話をFacebookに書いたら、吉福秀逸著「世界の中にありながら 世界に属さない」を思い出したとコメントしてくれた人がいた。そして、全く同じ日に、別の知人がこの本のことを投稿しているのが目に入り、「これは買う流れだな」とすぐさま購入した。そして、やはり、流れはあった。
いやあ、自分の存在を肯定された感じというか、何か同じものを見ている感じがあって、すごく嬉しかった。生きているうちにお会いしたかった。と同時に本が残っていることに感謝がある。
私は、同じことが続いたり、物事が繰り返されたり、安定してくると、それを崩したいという如何ともしがたい衝動に駆られて生きてきた。先が見えたり、予測が立つ方が一般的には良しとされるのだろうが、そうなると突然エネルギーが低下する。
落ち着くと思ったら、崩しにかかる。それは独り身でも、パートナーがいても、子供ができても、変わることがなかった。社会的な基準に照らし合わせると、そんな自分が情けなくなる瞬間もあったが、もう、止むに止まれずやっている感じで、どうしようもないのである。
そんな中、福岡伸一さんの「動的平衡」という考え方に出会い、「ああ、これで、良かったんだ。イキモノってこういうものだ」と衝撃的にホッとしたことを覚えている。
「作ることよりも壊すことを一生懸命にやっている」いやあ、本当に!高校をやめたり、好きな人を追って会社を辞めて引っ越したり、海外に移住したり、結婚という制度を拒否してみたり、転職を何度も繰り返したり、学生になり直したり。しかしさあ、確かに壊れた後に、変化した自分が立ち上がってくるんだよね。新しい自分でもあるけれど、より自分に戻っていく感じ。それが、本当に面白いんだよなあ。
「より自分であろう」としても、なかなかうまくいかないけれど、「壊れること」の後には、必ずそれが表れた。だから、"動的平衡の特徴は、作ることよりも壊すことを一生懸命にやっているということ。"という言葉は、実に肚落ちした。
生命として成立するために、イキモノは自動的に壊れることを内在しているはずだが、現在の社会は過剰に安定に向かっている気がする。せっかく、破綻する構造を持っているのに、それを覆い過ぎて、構造的に破綻できないようになっている。
だからこそ、「自ら先取りしてぶっ壊す!」ことが必要なんだと思う。
さあ、安心して破綻へ。