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ブッダとキリストにつながる道

色々なご縁が重なり、2024-2025年の年末年始、タイのプラム・ヴィレッジに約10日間のリトリートに行ってきた。2024年3月に開かれた東大でのリトリートで触れた僧侶たちの空気感が素晴らしく、からだ全体をそれに浸したいと思ったからだ。本当は、目に見えるものと見えないものは裏表で、それぞれの現れでしかないが、慈悲や慈愛を語る人のまとう空気が違うメッセージを放っていることの方が多いように思う。言葉と実践が離れているのかもしれない。プラム・ヴィレッジはそれが一致している稀有な場所ではないかと、2日間の通いのリトリートで感じていた。

長い間わたしの魂は、わたしの心は彷徨い、引き裂かれそうに感じていた。何に引き裂かれそうかというと、仏教とキリスト教の間であった。

それこそ、保育園の頃から、大人や社会が押し付ける価値観に何か疑問を感じ、「自分にしか歩めない道」を求める心があった。幼少期は大正生まれの祖父の膝の上で育ち、神棚を拝む後ろ姿を見て、毎年8月には大きな盆棚を整え、祖母が亡くなると自分で毎日仏壇に般若心経を唱えるようになった。祈る姿、お経を読む感覚は好きだったが、出会う住職や神職は社会にどっぷり浸かって生きている他の大人と同じ匂いがし、その先にある仏教なり神道なりに帰依したい気持ちは湧き上がってこなかった。そうこうする間にも、わたしの祖父や父にも、何かを求める思いがあったのか、生長の家や、TM瞑想などに連れて行かれた時期もある。

高校を中退し、人生で初めての挫折を味わっていた時、この苦しみを分かち合う相手が見つからなかった。友人たちに話しても理解してもらえないだろうと感じていたし、両親もわたしが持っている問いの重さに耐えられるようには思えなかった。そんな時、微かな一筋の光を与えてくれたのが、クリスチャンになっていた母からつながったキリスト教だった。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)

この聖句を見たときに、涙が溢れ、「ここに泉があった」「ああ、ここでやっと休める」と、心底安心した思いがした。母が通っていたプロテスタント教会の牧師が柔和な人であったことも、わたしの教会通いを助けてくれ、その後、大検を受けて、大学入学で京都に引っ越す前に、洗礼を受けた。

京都に移ってからも近所に教会を見つけ、毎日曜日の礼拝に出席した。初めて住む土地で受け入れてもらえることは嬉しかったが、「生きる道」を懸命に求めているわたしの心は、そこで居座りが悪くなり、次第に、本に、旅に、学生仲間との交わりや社会の中に探求先を求め、教会からは完全に足が遠のいた。地元も京都も、教会には温かいコミュニティがあったが、切実に生きることを求めている仲間の集まりとは当時の自分には感じられなかった。

しかし、洗礼を受けたことは、その後のわたしの人生になんとも言えない大きな安心感を与えてくれた。「イエス様につながっている」ということが、自分の中の「大丈夫」になる。キリスト教にも、教会にも、何か違和感があったが、「イエス・キリストにつながっている」という感覚が、わたしを支え続けいてくれて、それは今も変わらない。

大学を卒業してからも海外に住んだり、子ども出産したり、仕事を色々変えたり、紆余曲折ある中、15年ほど前に神奈川県の葉山町に越してからは、近隣の教会に通うようになった母に誘われて、再び、教会に足を向けるようになった。何より4歳になっていた娘の魂の養いのために、教会のあの温かな雰囲気だったり、物質的なものの奥にある大切なものにつながる空気を感じさせたかったのだ。教会に違和感はあったものの、あの場にしかないものがあることもわかっている。

そして、やはりキリスト教会の中は、他の場所では感じられない温かさがあった。教会員の皆さんが、「ようこそ」と両手を広げて迎え入れてくれる。あんなに歓迎してくれる場所が、今の社会に他にあるだろうか。毎日曜日に集い、説教を聞き、讃美歌を歌い、祈る時間は自分にとっても大切なものであったし、娘がコミュニティの中で愛されながら育っていることもありがたかった。しかし、子どもが成長して余裕ができて、自分の生き方を再度見つめ直す時期に入ってきたとき、再びこのコミュニティが切実な「生きる道」の探求とずれているように感じ、むしろ当時関わり初めていた対話の仲間の方が、切磋琢磨できる相手になっていた。そして、ある日、自分の食前の祈りが形骸化しているのを感じ、「もう、誤魔化すのはやめよう」と「習慣で祈る」ことをやめ、教会からも離れた。

40歳を超えてから看護師・保健師の資格をとり、産業保健師として勤める傍ら、対話を広める活動を始め、のちに勤めを辞めて3年ほど自分の活動に専念をした後、昨年から再び産業保健師をしながら、営みのとしての対話を続けている。

どうしても「自分の生きる道」を諦められず、「仮に『食えなんだら、食うな』という生活になってもいいか?」と娘に問うてまで、肚を括った3年間、次第に仏教に近づく自分がいた。キリスト教が唯一神への信仰を求めることは物事を相対的に見る傾向の強い自分には違和感があったが、「無常」「無我」「空」「縁起」「慈悲」「観音」「唯識」「坐禅」仏教に関わることばや感覚が自分の持っているものに近く、いろんなことがスッと入ってくる。そして、振り返ってみると、学生時代から自分の心の友だちだと思っていたヘルマン・ヘッセや、ものの見方を変えてくれたクリシュナ・ムルティや、大好きな看護論「拡張する意識としての健康」の理論も、すべて仏教や東洋思想に関わっていた。幼少期に10年間日本舞踊を習っていたり、中学生時代に般若心経を毎日唱えていたことも、もしかしたら、仏教に対する肌馴染みの良さの土台を作っていたのかもしれない。シッダールタが、宮殿を去り、苦行を含め様々な修行を経て、自分で自分の道を掴んで行った姿、そして他者と自分を分けることない生き方は、わたしが願う人のありように近かった。自分だけ幸せだったとしても、何が面白かろう。

そして、自分の実生活の中で、様々な問題に見舞われ、起こったことに、出会い、向き合いしていくうちに、「<いのち>が生きる」ために、色々なものを手放さざるを得ない状況になってきた。職業の安定を手放し、スーツを手放し、髪の毛を手放し、アルコールを手放し、肉を手放し、洋服を簡素にし、自分に構う時間を極力減らし、何かあったときにすぐに身動きが取れる自分を意識するようになる。これまで、一生墓場まで持っていきたいヤンチャもし、いろんな仕事を体験し、散々美味しいものを食べ、酒を飲み、楽しい体験をたくさんしてきたが、自分がいくら面白おかしく生きたところで、心底幸せであることや、心の平安を得られないことは、もう十分すぎるほど、骨身に沁みてわかっている。この世に悲しむ人がいる限り、争いが終わらない限り、ましてや、家族(我が家は8人家族)や周囲の人間が幸せでない限り、究極のところ、わたしの幸せなどないのだ。自分自身の楽しみや自己実現など、その前では、何の意味もない。

そうしみじみ思うようになったタイミングで、今回のプラム・ヴィレッジのリトリートだった。

タイのプラム・ヴィレッジは、本当に平和な穏やかな空気に満ちていた。それは教えを大切にしながらも、何より「実践」が重んじられているからだろう。ことばが先立ち、態度や雰囲気は違うメッセージを発しているダブルバインドがそこにはなかった。わたしが子どもの頃から、「大人は嘘くさい」と思っていた「あれ」がないのだ。みな柔和で、笑顔があり、笑い声があり、歌があり、敬意があり、そして沈黙もある。安全、安心な空気は、そこかしこから集まってくる野良犬や近所の飼い犬にも伝染しているのか、人間を攻撃してくる犬もいない。もちろん、プラム・ヴィレッジにだって問題はあるだろう。でも、毎日の暮らしの中で、「実践」するのだという意志と勇気が、あの場を真実のものにしていると思う。

そして、わたしの彷徨っていた心、引き裂かれそうだった魂も、着地点の輪郭を捉え始めたようだった。プラム・ヴィレッジには、クリスマス・ツリーが飾られて、ときに讃美歌のメロディが流れていることもあった。タイ(先生)と敬愛を持って呼ばれる故ティク・ナット・ハンは、『生けるブッダ、生けるキリスト』の中で、「あなたが本当に幸せなクリスチャンだったら、あなたは立派な仏教徒でもあるのです」と言い、フランスの拠点の祭壇に十字架も飾っている。

今でもわたしは「イエス様は道です、真理です。」と心から言える。十字架につけられたイエスの「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカによる福音書23章34節)という言葉を思うと、仏教の無明やタイがいう人間の間違った認識のことを思い出す。ブッダの「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉を思うとき、磔刑前に独り神の前に進み出、仲間から離れて十字架にかけられたイエスが浮かんでくる。自分に無関係の罪をその肉体も使って一身に受け、愛に変容させたイエスは、ベトナム戦争で多数の仲間を殺され、自身も辛い目にあったタイが、怒りを理解に変え、愛に変容させて行った姿に重なる。プラムヴィレッジで、僧侶が子どもに楽しい法話をしている姿は、子どもに慕われたイエスやブッダのようであり、涙を禁じ得なかった。

わたしにとって、イエス・キリストも、ブッダも、両方とも生きるモデル、プラムヴィレッジでいうところのSpiritual Ancestorであり、どちらか一方をとることなど、できない。そして、今回、日本語でいうところの五戒、プラムヴィレッジの5 Mindfulness Trainingを受け、「Clarity of the source / 源清(みなもとしん)」という法名(lineage name)をいただいた。lineageは系統、つまり、プラムヴィレッジを通して、ブッダというSpiritual Ancestorに連なるものだと理解している。身体も精神も両方大切だ。地元の教会の牧師がいて、わたしは洗礼を授けられ、タイがいて、プラムヴィレッジがあって、ダルマティーチャーから法名を授かることができる。肉を通した人のつながりの中に通る、精神<いのち>に連なっているということは、何とも言えない安心感がある。

と同時に、わたしは何かの宗派に属して、自分のあり方をそのラインで洗練させたいわけではない。仏教には「仏に逢うては仏を殺す」という言葉があり、ブッダも自分は向こう岸に渡るための筏であり、渡ったら捨てていいと言っている。タイは言う「教えのダルマ(法)の門は、八万四千もあると言われています。運よくひとつの入り口を見つけることができても、仏教徒であれば、それが唯一の扉だとは考えません。次の世代のために、もっと多くの扉を開いておかなければならないのです。私たちは未来のために、臆することなく、さらに多くのダルマの門を開いていかなければならないのです。」(『生けるブッダ、生けるキリスト』)

わたしは、ブッダやイエス・キリストのように生きたい。でも、それは2000年を遡る、特定の地域に生きたブッダやイエス・キリストと同じことをすることではない。現代にイエス・キリストが生きていたら、十字架にかかることが最良ではなかったろうし、ブッダも森に住み、托鉢をして生きていたとは限らない。人の罪や苦を取り除き、幸せな世界を目指すためにできることは、その時代・その地域、置かれた環境で違うはずだ。そして、それが、より多くのダルマの門を開くことにつながるのではないか。

だから、わたしは、ブッダとイエスに連なりながらも、この社会に根ざし、8人の家族に囲まれて、この肉(身体)の上に、<いのち>を現そう。それはそんな簡単なことではないが、大切なのは意志と勇気だ。光に体を向けていることだ。そこから立ち退かないと覚悟することだ。わたしは何者でもない。どうか、空くしたわたしを通してダルマが現れますように、一挙手一投足が神の栄光を現すものでありますように。血肉を分けた祖先の皆様、霊的な祖先の皆様、共に地球にある生きとし生ける仲間たち、どうかこの小さき者をお支えください。

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