解放前夜にあふれてくるのはなんの涙?
うわの空さんの家族は理想的だよね。ってよく言われる。
素敵な家族がいて、趣味もあって、毎日楽しそうでいいねって。
えっじゃあ、交代しますか?って言いたいなあっていつも思う。一日体験しますか?って。
前にこんな記事を書きました。これは本当のことだけど、ちょっとかっこつけてるなあって今読むと思う。なんかちゃんとした人みたいだ。
実際は全然ちゃんとしてない。
夫の母親と同居を始めてもう30年近くになる。自分の親と暮らしていた時間よりずいぶん長くなった。
同居?大変だね!偉いね!わたしにはあり得ない!無理!って言われるけど、みんなが想像するような大変なことはあんまりない。もちろん、偉いことなんかなにもしていない。
でもね、わたしにだってあり得ないのだ。無理なのだ。
夫(息子)の取り合いだとか、孫を甘やかさないでくださいよ!みたいなことは全然ない。だから、他の、親と同居してる人たちの話を聞くと、なんかみんな明るく優しく暮らしてるなあって思ってしまう。
わたしは義母と人間的に合わないんだと思う。
8年くらい前から義母が病気になり、加齢もあって、介護が必要になった。
介護が大変なのは目に見えるようなことじゃない。
食事の世話や着替えやトイレや、そんなことは大変じゃない。
イライラする自分を見ること。それが一番きつい。
パンを持っていけばご飯がいいと言う。ご飯を持っていけばお寿司が食べたいと言う。じゃあもう食べなくていい!って言ってドアをバンッと閉める。
わたしにこんな部分があるなんて知らなかった。介護なんてしなかったら、こんな自分知らずに済んだのに。
わたしってもっと優しいと思ってた。
わたしの好きなアーティストのサナダヒデトさんの歌に、「仕事さえ辞めれば明日アメリカにでも行ける」ってフレーズがある。
わたしの好きな森翼さんの歌に、「ぼくはぼくの選んだもので それだけでできている」ってフレーズがある。
わたしは、選んで今の生活をしてるんであって、明日アメリカにだって行ける。
誰かに頼まれたからじゃない。嫁だからしょうがないじゃない。わたしはわたしの意思で、この家にいて、これをやってる。
優しくできない罰は、この罪悪感で、もうバチはじゅうぶんに当たってる。
そんな風に思って、暮らしてたこの生活が、急にきょうで終わることになりました。
施設の順番が早めにまわってきて、明日、義母はこの家からいなくなることになりました。
わたしは、今思えば一緒に暮らせてよかっただとか、ふりかえれば楽しかったとか、きれいごとに収めるのがいちばん嫌いです。
あーほんと嫌だったな!いろいろ!って思う。
これで、夜起こされる心配なく眠れるし、家も臭くなくなるし、夕ご飯や薬のために一回帰って来なくても夜遊びできる。
って書きながらなんか涙出てくるのなんでなんだろう。