僕らは矛盾の中に生きている。
「矛盾」は美しいとわたしが言ったのは、
筋道の通った答えよりも、理由のない答えのほうが好きというような話で、
皮を剥いて刻んでゼラチンいれて冷やして固めたのよりも、もぎたてのトマトが美味しいみたいなことで、
考えて何度もなおしてなおして、書き上がった文章よりも、たった今頭の中を流れた言葉をひとつ書いたほうが美しい、そんな話。
だってたぶん、わたしたちは常に矛盾していて、それを隠すために奔走してる。
筋道が通った考えに見せるために。
ちゃんと考えて行動してるって証明するために。
理性的な大人ですよと言えるように。
誰に対してよりも、いちばんに自分に、日々忙しく言い訳をしている。
それなら、自分の目も他人の目も気にせずに、心のままに堂々と、矛盾してようじゃないか!そんな話です。
もぎたてのトマトがどうこう言ったその舌の根の乾かぬうちに、三日三晩煮込んだシチューが美味しいとか言って、おいおいって突っ込まれて、笑う。
そういうのが愛しいし、
今見上げた澄んだ真っ青な空よりも、きみが描いた青のほうがきれいに見えることも、わたしは知ってる。
大好きなShihoさんの、静かで強い言葉のアンサーに、わたしの思ってることを書いてみました。
書いてみたら、頭の中にあったときよりも単純なことだったな。
「矛盾」って言葉の成り立ちのお話が、ずっと好きです。
これはなんでも突き通す矛だよ。これは何も突き通せない盾だよ。じゃあそれでそれを突いたら?って、笑い話だと思ってた。一休さんのトンチみたいな。
でも、何にも勝てる矛もあると思うし、何にも負けない盾もあると思うんだよね。
全部がなんでも説明できるわけじゃない。
わたしはいつまでも、何かに反抗して、「だってしょうがないじゃん」って言いながら生きてる。