不安や悲しみと共に
「台無しにしてしまった」
と感じる経験をしている時、
別のことを考えようと
頑張っていても
たまたま目にした、聴いた
何かをきっかけにして
「その」ことを
思い出してしまう。
そして
またしばらく
ぐるぐるとした
時間を過ごす・・・
そんな経験はありませんか?
こんな時、
とてもしんどいし、
自分のことを
不甲斐ない存在だと
感じたりします。
自信が少しずつ
なくなっていく。
だからこそ
そんな自分を
いっそのこと
取り去ってしまいたくも
なります。
ちなみに
「台無しにする」を
フランス語では
なんというのが適切だろう?
と考えてみました。
Ruiner リュイネ
という言葉が
まず思い浮かびました。
「破壊する」
「台無しにする」
「価値を失わせる」
という意味を持つ
フランス語の動詞です。
例文:
Tu as ruiné tous mes efforts.
(君は私の努力をすべて台無しにした。)
La tempête a ruiné leurs vacances.
(嵐が彼らの休暇を台無しにした。)
そして
もう一つは
Gâcher ギャシェ
という言葉。
こちらもよく使われる
「何かを無駄にする」
「台無しにする」
という意味を持つ動詞です。
例文:
La pluie a gâché notre pique-nique.
(雨が私たちのピクニックを台無しにした。
Elle a gâché tous ses efforts en abandonnant son projet.
(彼女はプロジェクトを放棄して、これまでの努力を無駄にした。)
こちらには、
Gaspiller 無駄にする
というニュアンスもあるので、
文脈によって受け取り方が変わります。
そして改めて
「台無し」の由来を
調べてみると
こんな説がありました。
”台無しとは、
仏像を安置する台座である「台」に由来する言葉で、
台座が無ければ仏像の威厳が無くなることから、
面目を失うことや形をなさないことを意味する”
この文章をイメージしながら
興味深いことに
気がつきました。
面目を失ったら
仏像にはもう
価値がないの?
威厳がなくなったら
もう
役には立たないの?
だとしたら
この仏像自体は
どのような存在なのか?
台をなくして
地べたに立っている自分は
格好悪くて
無防備で
自信はあまり
ないかもしれない。
でも、
この自分をないものにしたら
存在として成り立たなくなってしまう。
台無しにはなったけれど、
全てを失ったわけではない。
そう考えると
何気なくしている
言葉選びの重要性にも
気がつきます。
わたしたちの現実は
言葉から連想する
「世界」なのかもしれませんね。
ここ最近お休みしていましたが、
来月開催しようと思います。
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