毎週note2020-11「プロとしてのスキルを試されるとき」
人と人が関わり合うところには問題が発生することは自然なこと。でも、その問題を問題のままにせず、発生した理由を考え、その解消に向けたアクションをするかどうかで問題が良きも悪きも形を変えていく。三休という障害のある人たちが働く場所をし始めてから、その摂理とより真剣に向き合うようになった。向き合い続ければ、もっともっと良い場所になる確信を持っている。
コミュニケーションとは、言語,身ぶり,画像などの物質的記号を媒介手段とした精神的交流のこと。語源はラテン語で「分かち合う」を意味する communicare。歴史的には物質的記号は初期の身ぶり,叫びなどの直接的で無反省な状態から,明確な言語などの普遍的かつ間接的な状態へと発達した。コミュニケーションの過程は,精神的内容を物質的に表現する送り出しの段階,受け手によって受容される段階の2段階から成る。(コトバンク)
人と人の間にくっついてくるのは、コミュニケーション。自分の伝えたいことを伝えることと相手の伝えたいことを理解することの2つの行為から成り立つのだろう。この2つのどちらかに傾きアンバランスな状態の人はたくさんいる。僕だってそうかもしれない。「なんで自分の話が伝わらないんだろう」「相手の言っていることがよくわからないな」、その不和から軋轢が生まれ、ぎくしゃくとした関係となっていく。
福祉を生業としている人たちは「コミュニケーション」の中に入り、わたしとあなた、わたしと社会、わたしと働く…わたしと何かが紡ぐ関係を安心したものにしていくのが大切な仕事の1つ。そしてプロとしてのスキルを試されるとき。僕はいまその境地に立っている。立たされている。どう誰かにとって居場所として機能していくのか、不快を少なくしほどほどの心地よさが漂う時間にしていくのか、その場所の個性をつくるフェーズに入っている気がする。三休はもうすぐ1周年、変えないところは変えず、変えるべきところは変化していく。それが深化であり進化。
福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。