タロット占いで思いがけず涙した話
わたしは占いがすきだ。
いつからすきなのかがよくわからないけれど、きっかけはきっと恋であったのだと思う。
どの年代でも悩みは尽きず、そのたびにひとやま越え、またひとやま越え…日々山登りである。
そんな悩みの中でも、恋愛は本当にたちが悪い。
体重は自分でダイエットをするしかないし、成績も自分で勉強をするしかないけれど、恋愛に関しては、わたしの意思だけではどうにもならないところがたちが悪い。
そう、相手が関わることなのだ。
これはもう自分ではどうしようもないことなので、たどり着いた先が占いであったのだと思う。
(安直)
友達が親身になって励ましてくれても、やはり第三者の色眼鏡なしの意見がほしいこともある。
そんなときにわたしは、最寄り駅近くの本屋に足しげく通った。
雑誌の占いを読むためだ。
週刊であったり月刊であったり色々であるが、ありとあらゆる雑誌のうしろのほうにある占いを片っ端から読み漁った。
まぁそこで、色々な先生方の色々な教えを享受し、都合のよい教えを取り入れる。
これだけ第三者の意見が知りたいといっておきながら、とても主観的である。
そんな風にして、はやる気持ちをなんとかおさえるわけである。
ラッキーカラーが書いてあれば、なんとかして取り込み、ラッキーアイテムがあれば、どうにかして入手する。
われながら乙女である。
☆
社会人となり、少しお金に余裕ができると、雑誌ではなく対面式の占いに行きたくなる。
またよい具合に、占いに通じる友人ができたりする。
そんな出会いもあり、四柱推命、タロット、手相、六星占術、姓名判断など、良さそうと思ったものにはどんどん飛び込んでいった。
年を経て、恋愛に限らず、なにか節目のときに、占いに行きたくなるようになった。
ここ最近は、たまに占いの本を読んだりSNSを見たりはしていたものの、そんなに占いに行っていなかった。
それは、悩みがなかったわけではないのであろうが、そこまで抱え込む悩みはなく、かつ、無料のSNSでの占いで充分であったためだろう。
☆
そんな平凡な生活をしていたが、最近仕事について思うことがあり「行くか」と、重い腰をあげようと思った次第である。
そこで、どの先生にお願いしようかと考えた時にすぐに浮かんだのが、タロットの先生であった。
こちらの先生は、3年前にお願いしたことのあるA先生であった。
当時、どんなことを相談して、どんなことをお教えいただいたかを実はあまり覚えていない。
それよりも、A先生のタロットに対する想いであるとか、お人柄であるとか、そんなところに惹かれたのはよく覚えていた。
行く前にブログを読んでいたのだが、タロットのパワーを保つために、タロットカードは大切に扱い、太陽の光に照らし、、等タロットの扱い方からしてとても素敵だと感じた。
というのも、以前他のタロットに行った際に、ぼろぼろの実家のトランプのようなタロットで占っていただいたことがあり、それはその先生自体を現している気がしたのだ。
なにも考えずに行けばなにも思わなかったのであろうが、A先生に見ていただいた後であったため、そんなところに目がいってしまった。
わたしの中でのタロット占いとは、タロットが伝えたいことを先生が汲み、それを先生が解釈して相手に伝えることだと考えているので、粗末に扱われたタロットからの想いを汲むのはなかなか難しいのではないかと感じた。
A先生は、タロットカードをたくさんお持ちで「とても強い、強い、弱い、とても弱い」といったように、タロットを4つの強さで分けられており、その中でさらにどの絵柄がよいかと4種類のカードを見せていただいた。
この強さと言うのは、タロットの意思の強さを表しているようで「はっきり言われるのがこわかったら上から2つめくらいがよいかもね、ふふふ」とおっしゃられていたた気がする。
タロットの意思の強さ…ただならぬ空気…
☆
そんなことを思い出しながら、今回また予約しようとホームページをみてみると、案の定予約でいっぱいのため、直近では1ヶ月先であった。
それでも予約できるだけラッキーで、その日を楽しみにしていた。
そして、いざ当日。
移転した都内の店舗へ行き、3年ぶりにお会いした。
そこでは1時間、自身の悩みや、考えていることを色々とご相談し、読んでいただいた。
やはりタロットは4レベルあり、例のごとく上から2つめのタロットで占っていただいた。
一番聞きたかった話は前述の仕事の話であるのだが、時間にゆとりかあり「他になにかありますか?」と聞かれた。
もちろん他にもたくさんあるのだが、2番目に聞きたかったのは父の話だった。
仕事人生であった父は、この春定年を迎える。
職場にいかなくなったあとの父は、どのような人生を歩むのかが気になった。
とくに趣味もなく、ともだちがとても多いわけでもなさそうな父は、家族の優先順位が高かったように思われる。
幼い頃も、週末になれば家族で車で出掛けたり、旅行に出掛けたり、誕生日会をしたりと、家族ファーストな父であった。
わたしたち姉弟も社会人となり、手がかからなくはなったと思うが、そんな父は一体これからどのような人生を歩むのであろうか。
☆
結果から言うと、父は自身で思っている以上にブルーになってしまうと先生はおっしゃられていた。
父に退職後の生活について聞いてみると「母さんにはこき使われるし、おばあちゃんもいるし、やることがたくさんあるから全然暇になれない」と父はよく言っている。
まぁそれはたぶんそのとおりで、傲慢な母とわがままな祖母の相手をするのであれば、働いている方が楽なのではないかとも感じる。
一方母は、
「扶養抜けてめちゃ働ける、ヒャッホウ」
と言っていた。
そう、母は働くことが大好きなのだ。
最近還暦を迎えた母は、介護福祉士として、近所のお宅のホームヘルパー的な仕事をしている。
これは、長らく専業主婦をしていた母にとって適職だったようで、とても楽しそうに働いている。
それにくわえ、空いている時間に別のパートを始めたところ、扶養枠ぎりぎりとなり、父にこっぴどく怒られている場面を何回も目撃した。
生活費は父に依存しそれでなんとか賄えているため、母の稼ぎはほぼ母の懐に入るわけだが、それがどうも楽しいらしい。
わたしとしても、母が楽しそうに働いているのはとてもよいことだと思うし、雇っていただけるのであれば、働き続けたらよいのではないかと思う。
しかしながら、父はそれで大丈夫なのであろうか。
ひとりですごす時間も増えるであろうし、実家の猫だけでその時間をうめることができるのであろうか。
という話を先生に伝え、
「まぁわたしも実家からそんなに遠くない距離に住んでいるので、旅行に連れていったり、ごはんに連れ出したりしたらよいですかね!」と提案すると、
「カード7枚引いてください」
と。
言われるがままに引く。
「うーん、お父さんはね、あなたはもう嫁いだのだから、自分のことは気にしなくて大丈夫だから、って言ってる」
とおっしゃられた。
いま文章を打ちながらも涙がこぼれてくるのだが(←病気)、たぶん大丈夫ではないのに大丈夫と言っている父の心境を慮ると、なんだかとても切なくなった。
先生が色々とお話しされているなかで、自然と涙が溢れてきてしまった。
何回も占いをしていただいたが、泣いたのははじめてであった。
いつでも父は、自分のことは二の次の父であった。
☆
先生と話し合った結果、わたしは1年以内に孫を産むということで合意した。←とても現実的な解決方法
まぁそれが一番であるのは明白であったが、わたしは他にやりたいことがあり、すぐに妊娠することを望んでおらず、かといって父が孤独になってしまうことは嫌だった。
そのことを先生に話すと、
「お父様とまみむさんの人生はそれぞれまた違うから、やりたいことをやってから妊娠するという流れが絶対によい」
と言っていただけた。
よかった。
このような方針でいくことで、もやもやしていた気持ちは晴れ、前を向くことができた。
わたしは、気遣わない程度に、どこかに連れ出したりしてみようと思う。
☆
ちゃっかり元をとろうとしているわたしは、最後に
「先生!!最後に自分の今年の全体運お願いします!!」
とつめこんだ。
先生は快くみてくださった。
そして、
「今年いちばんの懸念事項は…」
~わたしの心境~
(お父さん…大丈夫かな…)←どこまでもファザコン
「お母さんの暴走」
「ん?実母ですか?」
「うん、お母さん、たぶんお母さんね、あと10年は突っ走るよ!!孫の面倒みないよ!!」
わたしの今年の全体運の懸念事項が、まさかの実母の暴走で、1時間の幕は閉じた。
(遠い目)
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