【グリーフ(悲嘆】 悲しみとともに生きるMove forward with it
この記事シリーズでは、僕のグリーフ(悲嘆)と現在に至るまでのあゆみを書いています。
🌈 グリーフ
グリーフ(grief)とは死別や離別などの喪失体験による悲嘆や反応(心や身体などに引き起こる状態)です。
僕は移住先のニュージーランドで5年前に最愛の妻の他界を経験し、僕の人生で最も深いグリーフに直面しました。
グリーフは人それぞれですし、タイミングや心の状態でこのような記事を読むことが難しい方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、僕はグリーフについてのブログ記事から情報を得たり支えられたりしたので、僕の経験がほんの少しでも誰かのお役に立てればという想いから、感謝も気持ちと勇気を持って記事として発信します。
🌈 「乗り越える」
悲しみを「乗り越える」という言葉は多くの場面で使われ、、僕も以前は何の意識もせずに使っていました。しかし、この表現が持つニュアンスを考えると、「乗り越えた先に何かが待っている」という期待が背後に感じられることがあります。しかし、自分の経験を通して、悲しみは「乗り越えられるもの」というより、「乗り越えたくないもの」であり、「存在し続けるもの」であると思うようになりました。
🌈 悲しみの空洞
グリーフに直面した当初は、心に大きく暗く深い穴が空いていました。
その空洞の大きさは自分の心の大きさと数ミリしか変わらず、気を抜くとその空洞に呑み込まれてしまいそうでした。だから、その空洞と戦う感じで、息をするたびにエネルギーを消耗し、何をする気も起こらなくなっていました。
グリーフに直面した人の心理的プロセスについての知識も全くなかったこともあり、悲しみを乗り越えようとしていた僕は無力感に苛まれたこともあります。自分の心がこれからどうなるのか、この空洞との戦いがいつまで続くのか予測できず不安でした。
🌈 心理的変化
しかし、時間が経つにつれて、その空洞を埋めようとする意識が少しずつ変化していきました。その空洞自体に意味があるのではないかと感じ始めたのです。その空洞は、愛する人がそこにいた証であり、その空間に意味が宿っているのだと思えるようになりました。
空洞は以前と同じ大きさのままでしたが、僕の心はそれよりもずっと大きくなった感じがしていました。自分の心の広さが変わることで、相対的に空洞は小さく感じられるようになりました。
この感覚を経験することで、「乗り越える」という表現が僕の場合は必ずしも適切ではないことに気づきました。むしろ、「悲しみともに生きる」や「受け入れる」といった言葉が、より適切な表現と感じるようになったのです。
🌈 Move on と Move forward という表現
僕はニュージーランド在住25年ですが、英語では、悲しみを「乗り越える」と「ともに生きる」の違いを on と forward によって表現することに気がつきました。
グリーフは人それぞれですが、僕の場合は、悲しみとともに歩んでいくこと、そういう心を育むこと、その過程が、自分を成長させ、強くし、癒しに導いてくれている感じがしています。
もしあなたが悲しみを抱えていたら、この記事がほんの少しでもお役に立てたら幸せです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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