【日本語教育】 「学ぶこと・教えること」を包括するマオリ語AKOと、「日本語ユーザー」という概念が切り拓く日本語教育の未来
🌈 ニュージーランドの先住民族マオリ語のAkoという単語
このAkoという単語は「学ぶこと」「教えること」が一つになった単語です。
ニュージーランドの学習指導要領に相当する『ニュージーランドカリキュラム』にある説明がこちら。
日本語教育へのヒント
🌈「日本語ユーザー」
僕は日本語教育に20年以上携わってきましたが、この「Ako」という単語は、日本語教育を含んだ語学教育の未来を考える上で非常に示唆に富んでいまると思います。
「学ぶ」「教える」は別の単語ですが、それを包括した一つの単語の存在は、従来の「母語話者・非母語話者」「学習者・教師」という二項対立的な枠を超えた「日本語ユーザー」という概念の可能性にもつながります。
🌈 教師の役割の進化
時代の変化とともに、日本語教師の役割も変化しています。以前は「何を、どう教えるか」が中心でしたが、現代では「自律的な学習の支援」「相互学習の場の設計」と、さらに「学習環境・システムのデザイン」も含むものに拡大しています。
🌈 日本語ユーザーとしての教師のあり方
「学習環境のデザイン」に関して、学習者にとっては教師自身も環境であるという視点を持つと、環境としての教師の「あり方」がこれからのことばの学びの最も重要な要素となると思います。それは、日本語ユーザーの視点からは「何を、どのように学ぶか、教えるか」から、「誰から学ぶ」、そして、「誰と学び成長したいか」という根本的な転換を意味します。
生成AIの時代おける語学教師は、伝達者とファシリテーターの役割を含み、それを越えて、学習者と共に新たな価値を創造する「co-generator」「co-creator」としての役割が重要になっていくと考えています。
🌈 幸せを共に育む
共に何を創造するかという点について最も抽象度の高いものの一つが「幸せ」だと思います。従来の語学教育では何をどのように教え、学ぶかが中心であり、その先にある幸せへの意識が希薄だったと感じています。
日本語、ことばの学びを通して幸せを育む。それがどういう実践になるのかわかりませんが、ワクワクしながら取り組んでいきたいと思います。
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