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【ここに来るまで】 高校の英語教員だった僕がニュージーランドの大学の日本語教員になるまでの歩み まとめ
日本語教師は多様なバックグラウンドを持っていて、それぞれの方の「現在に至るまで」のお話を伺うのはとても楽しく、貴重な学びをいただけます。
この記事では、大学で英文学専攻、公立高校の英語教師だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学で応用言語学博士号を取得し、ニュージーランドの大学で日本語を教えるようになるまでの歩みをまとめています。日本語教育に関心のある方のお役に少しでも立てたら嬉しいです。
日本語教育も面白そうだと思った方は、日本語教育の本などを検索してみてください。「面白そう」という感情を大切にして行動につなげていく。日本語教育との小さな小さな接点が、日本語教育とのご縁を深め、将来の何かにつながっていくかもしれません。
✅ 大学時代
専門は20世紀の英文学。日本語を教えることに少し関心を持ち、日本語教授法を履修。担当の先生が、日本語教師では食べていくのが難しいと話していて、なるほどと思い、関心をなくす。
✅ 英国の大学への交換留学
交換留学で約1年在籍した英国のエセックス大学には Japan Studyというコースがあり、大学院で日本語や文化を学んでいる学生と知り合いになった。将来は大学院に進んで英文学の研究者になろうかなと淡い希望を持っていたが、英語教育や言語習得には関心がなかった。しかし、日本語を流暢に操る学生とのご縁がきっかけで、日本語の習得プロセスに興味を持つようになった。
余談1:当時話題となっていた『大人の国イギリスと子供の国日本』の著者マークス寿子先生も所属していた。
余談2:当時出会った英国人の学生二人が、数年後に日本の僕の家に数ヶ月滞在した。その一人は寮が同じだっただけで、日本語専攻ではなかったが、たまたま、日本の僕の家に滞在することになり、その後日本の英語学校教師を経て、現在は日本の大学の准教授となり英語を教えている。
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✅ 公立高校の英語教員時代
日本の政府開発援助を行う国際協力機構(JICA)の21世紀のプログラムの地方プログラム運営に関わったおかげで、海外から招聘された人たちとの交流機会が定期的にあった。ミャンマー、韓国、ニュージーランドの先生が我が家にホームステイをしたこともあり、英語に加えて日本語でのコミュニケーションもしていたので、日本語を習得するプロセスに改めて関心を持つようになった。
✅ 文部省(当時)のREXプログラムによりニュージーランドに日本語教師として派遣
日本語教育との本格的な出会いは東京外国語大学留学生日本語センターでの研修だった。日本語教育についてゼロから学ぶ機会となった。4ヶ月後には日本語教師として海外に派遣されることが決まっていたので、研修はハードだった。詳しくはこちら。
✅ 任期中にパートタイムで修士課程(教育学)開始
✅ 20ヶ月の任期を終了して帰国
2年間置籍となっていた高校に戻り、さらに2年間勤務。その後、同じ市内の高校に転勤となった。教員としての仕事に追われ、この間日本語教育とは離れていた。
しかし、ニュージーランドでの任期中に始めた日本語教育に関する修士論文が完成していなかったため、論文執筆を通して日本語教育文献などにはかろうじて触れていた。
✅ ニュージーランドへの移住
1999年の3月31日に退職し、4月18日には妻と子供と三人でニュージーランドに移住。当初は仕事の当てもなく、第2言語習得研究について博士課程応募のプロポーザルを作成しながら過ごす。(翌年の2月まで無職)
幸運にも、3年前に文部省により派遣されて勤務していたハミルトン女子高校で日本語教師の空きが出た。勤務経験があり、当時の管理職もいたので、すんなり採用された。ニュージーランドでもご縁が大切だということを改めて実感。(幸運なことに、日本の教員免許がニュージーランドの教員免許として認められた。同僚のポーランド人は現地の教員免許が認められず、教員免許を取るために教育学部に1年通わなければならなかった。)
2000年2月から高校教員として勤務開始。派遣されていた時には経験したことがなかったクラス担任も持つことになった。担任業務は慣れないこともあり、いろいろ苦労した。第二言語習得についての博士課程の研究も同時期にスタート。2021年には次男も誕生し、研究のための時間確保が難しく、博士論文の完成は8年後となった。
✅ 博士号を取得し、2年後にカンタベリー大学で採用される
10年間勤務していた高校を退職し、2011年からカンタベリー大学の日本語プログラムの所属となり現在に至る。
2016年にはニュージーランドの日本語教育に関した編著本を出版。ありがたいことにいくつかの賞も受賞。現在はニュージーランド日本研究学会の会長代理も務めている。
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✅ 振り返ってみると
振り返ってみると、点がつながって現在に至っていることがわかりますが、振り返ってこそ見えるんですよね。
高校の英語教員になった時も、ニュージーランドに日本語教師として派遣された時も、将来、ニュージーランドの大学で日本語を教えている自分は描いていなかったのです。
どの点が未来にどうつながっていくのか、現在のその時点では見えない。
だから、すべての点、つまり、今この瞬間を大切に丁寧にして生きていきたいと思っています。
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