日本美適進化論:対人関係と心の持ち方
私は人間関係について、何かの組織やチームに所属していない不安も、発言力のある人から否定的なことを言われて孤立する恐怖や、威圧感のある相手に対して迎合せず、自分を安定させた状態で対応することが比較的出来ていると感じています。これは、長い時間様々な業界・業種の方々と一線で続けてきた仕事を通して得られた経験によるもので、その中から自分だけが持つビジネス理論や技術で実績や経験を積んできたことも自信に繋がっています。人間関係を快適にする弊社オリジナル「コミュニケーション・フィットネス®」プログラムは、友人知人関係ではなく、あくまでも仕事としてメリハリをつける場合のビジネスツールです。軸となっているのは、自分のフィールドでどのような相手でも自分との違いを知り敬意を持ちながら成果まで共創する、いま全くと言っていいほど人間関係のトラブルがない環境で心が常に安定しています。ひとりでも誰と居ても気持ちが乱れない状態は、様々な判断が健全だと感じています。
コミュニケーションとは、一部の人との深い関係を築く一方、初対面の相手との可能性も引き出し合える豊さが、これからの時代の波に乗るボードだと考えます。私のメンターが「モモ化現象」を推進している背景には、相手に関心を持ち熱心に話を聴くことで、思考の違いや価値観をつかみ選択肢を広げるという理由があります。思い込みのジャッジで判断を誤り可能性を阻むような選択をせず、対話からパラダイムシフトが創出されるワクワク感を得たほうが自立が促される。いつまでも人に依存し続けていると、結局じぶんが苦しいだけ。
人の話が聴けているかどうかの目安として、「傾聴レベル」を知っていると良いですね。例えば、相手の話の途中で「次はこれを言おう」とか、「それは正しい正しくない。」等の自己ルールによるジャッジが頭をよぎったり、内容を十分に理解していないのにたぶんこうだろうと決めつけて、相手に意見するなどがあれば、それは相手の話をほぼ聞いていないことのようです。
自分のプライドや立場を守ろうとする攻撃姿勢は恐怖心の裏返し。これでは自分も相手も疲れてしまい、信頼関係も共感もないところからは虚無しか残りませんね。それが繰り返されてきた過去の時代は、江戸時代からの家老制度である「取り立てる制度」が、まかり通ってきたからです。偉い人や立場が上の人に奉仕し取り入らないと排除される怖れや、より引き立てられないと優遇されない時代の刷込みがいまも続いているのですね。それか、強い母性。大切な個人や組織を守ろうとする命がけの行為で、そのためなら何を誰を犠牲にしてもいとわない。無償の愛から発する人としての本能です。これからの時代に必要なのは、その特性を活かし合うタイミングが来ることを自ら止めず手放さないことだと感じます。敵や味方ではなく、好きや嫌いではなくタイミングが合わないだけ、特性の違いと識別の選択肢を持ち、いつか訪れるチャンスを待てること。可能性を阻まないことが、誰一人取り残さない豊かな時代への心の持ち方です。