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日本美適進化論:自分のスタイル

先日視聴した番組で、「センス」と「スキル」をテーマに論客の方々が討論していた内容は、スキルはコモディティ化するというもの。プレゼンが上手いのに相手の心に届かない、話し方が上手なのに面白くない。そんな人をみると「センス」の違いを感じるそうです。ロジックは成立していないのに、たった一言で相手の心をつかむ人もいます。そんな人は自分の言葉や、自分のスタイルを持っている感度の高い人のように見えますね。例えば、サービス業などでの「おもてなし」についても、お客様が感動する、喜ぶことを総体的な技術として学ぶことで、自分が個人としての感情や心を捉える前に、「型」を意識した習慣が付いてしまう。それはスキルとなり、瞬間すでにお客様の心を捉えることは出来なくなる。人って、そこは敏感ですよね。心を教えるには、その環境に身を置き経験を見守り導くことで養われるものだと思いますが、それを短期間で教え込まなければならない産業構造では、健全な心が育まれないのは当たり前です。

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結局センスとは、自分のペースで自分の感性が育まれながら自然にスタイルが出来上がることなのではないでしょうか。その過程に、その人らしい一貫したこだわりや光りを感じられると際立つものなのかも知れません。ただ、「型」によって整えらることで逆に個性が磨かれることもあります。人との違いが明確につかめるからです。遠回りのようでも、これは出来るこれは苦手という自分の特性をつかむことで、自分の才能や能力を活かす選択が出来ますね。辛いのは、苦手でも訓練して克服することですが、そこにも必ず意味があります。自分とひたむきに向き合い、自分の感性に夢中になること。周囲にどう見えているかなど、考える余裕がないほど没頭できる。キラリと光る自分のスタイルは、計算などできないことへの挑戦の姿そのものかも知れません。

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