見出し画像

行ったこともない劇場の思い出(ヨシモト∞ホール 閉館によせて)

ヨシモト∞ホールが閉まるらしい。


この30数年の人生において渋谷という場所には一度も行ったことがないわたしには本来1ミリも関係のないことのはずなのだけど、すこしだけ寂しい。

わたしの芸人オタク人生は、2005年の終わりもしくは2006年の初め頃のオリエンタルラジオから始まる。


ヨシモト∞ホールは、2006年の春に開館した。
オリエンタルラジオのために作られた劇場とまで噂されてきた無限大。

わたしにとって無限大は、オリエンタルラジオ(後に、その他の芸人たち)が毎日夕方に生放送をする場所なのである。
今の無限大に通っている人にはそんなこと知らない人もいるだろうし、そもそもそんなの初期の頃だけの話じゃんと言われればそれまでなんだけど、何せ現地に行ったことないわたしの記憶の中では今もその頃の思い出が一番鮮やかに残っている。


当時 家にスカパーは引いていなかったのでファンダンゴは見られず、ネット環境もろくなものではなく生配信をマトモに見られる状態ではなかったので、始まってしばらくは遠い渋谷の地に思いを馳せたり、たまには一応つないでみようと試みるけど重すぎてすぐに断念したりしていた。


実際に無限大で行われていた収録の様子を見るようになったのは、オリラジの週7生放送開始から時は経ち、KBS京都で「いただき∞」というダイジェスト番組の放送が始まった頃だったかと思う。

あの頃のわたしは毎週毎週いただきの放送を本当に楽しみにしていて、オリエンタルラジオはもちろん、チュートリアルの90分ではよくピースと絡んでいたことも懐かしいし(その後ピースを好きになって追いかけていた時期もあった)、トータルテンボスの枠で田畑藤本のネタを初めて見てちょっと好きになったこともよく覚えてるし、当時ライセンスに夢中になったのも間違いなくこの番組の影響だった。
今でも、チュートリアルは火曜日でライセンスは木曜だって覚えてるくらい。実際見てたのは週まとめのダイジェスト版のくせに。


無限大には、まだ劇場に通ったりする前の田舎の中高生だった頃のわたしの青春が詰まっている。
多分改めて整理したらそんな長い期間ではなかったんじゃないかとは思う。思うけど、それでも無限大ホールがあって、ヨシモト∞の放送があったおかげで知れたり好きになれた芸人さんはたくさんいる。

それに何より、あの頃大好きだったオリラジが始まった場所、みたいな感覚がある。
足を運んだことはないし、この目で見てもないけど、あの頃のわたしにとっては間違いなく聖地で、そんな無限大が、無限大でなくなることがちょっとだけ寂しい。


いつか行ってみたいと思っていたことは結局叶わなかったけど、無限大はお笑いを愛しはじめた頃のわたしを形づくったコンテンツであり場所だと思っています。

ヨシモト∞ホール、19年間お疲れさまでした。
楽しい思い出をありがとうございました。



#吉本興業 #無限大ホール #ヨシモト無限大ホール #お笑い #一度は行きたいあの場所 #エッセイのようなもの

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集