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子育て雑感(忘備録)。

今日偶然一人のママ友(というより顔見知り)と道でばったり会った。彼女は昔からタイガーマムな気質があり(決して悪い人ではない)、話し出すと長くなるので、軽く挨拶をして立ち去ろうと思ったのだが、運悪く捕まってしまい、案の定、息子たちの通う学校への不満をまくし立て始めた。システムが要領を得ない、子供たちのやる気を起こさせない、先生達の能力が問題など、とにかくすべてにおいて不満爆発だった。下の妹が別の女子校に通っているので、そことの比較を引き合いに出しては、なってない!と言う。11月に学校から出された成績で、タイガーマムの息子Jの得意科目の結果が随分と悪かったらしく、学校は一体何をやっているんだ!と、話しているうちに段々と不満を通り越して怒りに変わっていった。まあ、人の家庭、人の子供のことだし、自分もまだ子育ての真っ最中でアドバイスや意見を求められているわけでもないので、黙って聞いていた。しかし、聞いていると彼女の怒りの原因はJに対するフラストレーションだということが分かって来た。というのも、Jは来年シックスフォーム(大学進学準備コース)には進まない、つまり大学には行かないと言い出したらしいのだ。現在通っている学校は進学校なので、シックスフォームに進まない生徒は皆無と言っても過言ではないのだが、そんな中、このタイガーマムの息子が大学に行きたくない、と言っているのである。では、Jはあまり出来が良くないのか、と言われると、実はその反対なのである、7歳で受験して現在の学校に入学し、Y4~6までのジュニア・ブランチでの4年間は常に成績トップ。特に理数系に強く、ピアノやドラムなど楽器の演奏も得意。精神的にも独立しており、とても礼儀正しい子である。その頭の良さがシニア・スクールに進学してからも(学校はエスカレーター式)開花し続け、ティーネージャーになる頃から、コンピュータープログラムを使って音楽を作り始めた。そして、作成した音楽をサウンドクラウドに上げたところ、有名どころのミュージシャンやプロデューサーから買わせて欲しいと声が掛かるようになり、某レコードレーベルのレコーディングスタジオに招かれるようになった。ウチの息子を含めた友人達も彼の快挙と才能を祝福し、当時はタイガーマムも(かなり)ホクホクだったのだが、彼にとっては音楽こそが自分の生きる道という認識になっていったのだろう。音楽の道に進むのに大学は不要と結論付けたようなのだ。「成功するとしても1000人に一人!一万人に一人よ!大学に行きたくないなんて、どうかしてるわ!」と言う彼女に、「その1万人に一人かもしれないじゃん」と無責任に返答。このような状態の彼女には何を言っても無駄だ。しかしその後、知り合いの息子がオックスフォード大学を終了した後、博士号を取得し、卒業後、投資銀行に務め、28歳にしてミリオネアになったという話をし始め、これこそが本当の成功よ、と言ってのけた。この辺りから私は「んんっ?」となった。


どうして、彼女の話に違和感を覚えたのかというと、それは、つい先日、『It’s A Sin(哀しみの天使たち)』を観終えたばかりだからだ。80年代のロンドンを舞台に当時は未知の感染病だったHIV/エイズが蔓延するのゲイ・コミュニティを描いたドラマで、今年1月に英チャンネル4で放映された。興味のあるテーマだったし、俳優陣も良かったので早速1話目を観たのだが、あまりにも辛く悲しすぎて、残りのエピソードを続けて観ることができなかった。しかし、心の中では絶対に観ておくべきドラマと分かっていたので、年内に観終わらせようと決意し、残りの4話をつい先日一気観したのだった。

以下ネタバレあります。

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このドラマに関しては、80年代、ロンドン、エイズ、ゲイコミュニティー、それに加えて、音楽(主題歌"It's a Sin"は言わずもがなのペット・ショップ、ボーイズ、ケイト・ブッシュ、ブロンスキー・ビート、ソフト・セルなど)など、特筆すべき点がたくさんあるので、近いうちにまとめてみたい。


このドラマの最終話で主人公のリッチー(オリー・アレクサンダー)がエイズを発症し入院、病床に駆け付けた両親がそこで初めて自分の息子がゲイであること、しかもエイズを疾患していることを知る。実際、リッチーは実家に帰るたびに両親にカミングアウトしようと試みるが、保守的な両親であるが故、理解が得られないだけだなく、両親を失意のどん底にたたきつけてしまう、という恐怖がありなかなか切り出せない。親友のジルからも何度も発破をかけられるが、結局打ち明けることのないまま時は過ぎ、リッチーは自分がゲイであること、エイズに感染していることを、死の宣告を受けた後に両親に告白せざるを得なくなってしまうのだ。

真実を知らされた両親は、心の整理がつかず、うろたえるばかり。特に母親ヴァレリー(キーリー・ホーズ)は、病院で息子の傍らにいた友人達に当たり散らす。取り乱すヴァレリーを給湯室へ案内し、落ち着かせようとするジル。しかし、ヴァレリーはジルに言う。「リッチーは若くて、ハンサムよ。他の男が寄ってくるのもしょうがない。だから少しおイタをしただけ。楽しんだだけよ。それだけで、ホモセクシャルってことはないでしょう。あくまでもこれは成長の過程よ」。ここまできても、リッチーがゲイだという事を認めようとしない。その時、一人の女性が給湯室に入ってくる。彼女の息子もエイズに感染している。「ジュースを取りに来ただけだから」と冷蔵庫に向かうが、ヴァレリーが「リッチーがゲイだという事を知らなかった。男の子は秘密が好きだから」と言うのを聞いて、こう言い放つ。「自分の息子がゲイだと知らなかった?あなたは一体自分の息子の何を見てきたの!?彼が11歳の時、彼が15、16歳の時、今彼は何歳?30?30年間も彼の何を見てきたの?あなたは母親でしょう。昼も夜も息子のことを考えるのが仕事。なのに一体何をしていたの?」と。ヴァレリーは「私は嘘をつかれていたのよ!」と反論するが、その怒りの矛先はジルへ向けられる。「あなたが邪魔をしたからよ!巧妙な嘘の塊で!これは陰謀だわ。私たちが気付かなかったのは、あなたが私たちからリッチーを見えないようにしたから!」とジルを糾弾する。「私は彼のガールフレンドではない、と何度も言いましたよね」とジルは反論するが、ヴァレリーの怒りは収まらない。そして、自宅療養のため、リッチーを友人たち全員から引き離し、実家へ連れて帰ってしまう。

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ヴァレリー(キーリー・ホーズ)の演技は最高だが、やはり息子を持つ母親としては、到底理解できない。


このシーンが今でも本当に心に突き刺さっている。特に「あなたは一体自分の息子の何を見てきたの!?」というセリフ。「知らなかった」では済まされない真実。このドラマを観た後、15歳の息子に「とにかくなんでも話して欲しい」と伝えた。セクシュアリティでも勉強のストレスでも、人間関係でもなんでも、聞いて欲しいことがあるなら、いつでもここにいるから、と。するとそれを傍らで聞いていた夫が(夫はドラマを観ていない)、「いや、それ(話をすること)は息子(名前)の仕事じゃないだろう。私たちがそれに気付くのが親の役目だろう」と言った。"それに気付く"。どんな信号も見逃してはいけないのだという事だ。そのためには息子自身の、息子のおかれた環境の、息子の生活の全てに関して柔軟な態度でいないといけないと思う。話は飛ぶが、昨夜放送された『And Just Like That… 』のエピソード3で、ポッドキャスターのChe (Sara Ramirez) が、自身のコメディーショーで「確信できない事は確信できないままで良い。一旦決めつけてしまうと変化を受け入れられなくなるから」と語っていた。ノンバイナリーのキャラクターとしての発言故にその意味するところは深い。昔、"ウチの子に限って"というフレーズがあったが(80年代に同タイトルのドラマもあった)、「そんなことあるはずがない」という決めつけは恐ろしいと思った。うちの子であっても、自分とは違う人間なんだという事を常に認識しておくのが重要なのである。


このようなドラマを観ていたせいもあって、すべてをコントロールしようとする彼女が、リッチーの母親ヴァレリーと重なってしまったのだ。タイガーマムのまくし立てる、"全ては人のせい"的な発言にものすごい違和感をもったし、他人の子供の成功を引き合いに出して、これが自分の息子の進むべき道、のような論理を正当化しようとするのも見当違いな気がした。なにもこの息子が悪さをしたとか、ドラッグに走ったとか、人を危めたとかではない。音楽が好きだから、それをもっと深く追求したいと言っているだけである。成績が落ちたのは音楽のせい、モチベーションが上がらないのは学校の責任なんて言っていたら、本当の彼の居場所が見えなくなる。今彼にとって重要なことを同じ目線で感じ、それが彼の未来にどういう風に結びつくか、それを進めながら、アカデミックワークとのバランスをどのようにとっていくか、を話し合う余地はないのだろうか?残念ながらそれは無いようで、結局彼女の解決策は家庭教師をつけるということだった。随分と短絡的な解決策だなあ、と思ったのだが、Jが彼女に「家庭教師からはたくさん刺激をもらって、学ぶところがあった」と言ったそうだ。息子の方が一枚上手だな、やはり賢いな、と思ったが、彼女は"してやったり"の態度でご満悦。「ほらね、足りないのは先生たちの努力。やり方を変えればいくらでも伸びるのよ」と言い放った。


『It’s A Sin』で、リッチーは母ヴァレリーに泣きながら何度も「I’m sorry」と言った。ゲイであることを言わなくてごめんなさい。エイズにかかってしまってごめんなさい。悲しい思いをさせてごめんなさい、そして、自分がゲイであること自体をごめんなさい、と。しかし、ヴァレリーは最後まで、気付いてあげられなくてごめんなさい、とは言わなかった。愛する人からの理解が得られないこと、アイデンティティを認められないことの辛さがひしひしと伝わってきた。

結局タイガーマムには「それは良かった。じゃあよいクリスマスを!」と言って別れたのだが、正直今でも彼女の息子が気の毒でしょうがない。とはいえ、他人の家庭の中は見えない。もしかしたら家庭内ではもっと柔軟なのかもしれないし、Jは私が心配する必要も無くハッピーかもしれない。恐らくJは成績を取り戻すであろうし、最終的には大学に行くであろう。それが、Jとタイガーマムのwin-winの選択であることを願うばかりだ。


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