【不器用さんのトリセツ】たびたび脳内に現れる高倉健について
私は、たびたび高倉健になります。
「なんとなく」でこなそうとしたり、物事を甘く見積もって手を抜こうとしたり、不器用さんに相応しくないことをして失敗すると、もれなく心の中に"彼"が登場します。
彼は、私の脳内に登場するやいなや、俯き加減でつぶやく。
「自分、不器用ですから」
さすが健さん。たったひと言なのに、重みと深みが…ずーん。
そして、思い直すのです。
あぁ、そう。そうだった。
忘れてはいけないんだった。
私は、高倉健なのだ。
器用にやろうとしちゃいけないのだ。
脳内に高倉健が現れるたび
あらためて不器用な自分が嫌になる。
嫌になるけど、不器用なりに頑張るしかない。
松下幸之助さん曰く、どうやら私にしか歩めぬ「道」があるらしいのだから。
整備されてないデコボコ道でつまずこうとも、落とし穴に落ちようとも、
不器用なんだから、うまく近道してやろうだなんて、考えてはいけない。
ここ数年、すごろくをふれば「ふりだしに戻る」。
かと思えば、底なし沼にはまって抜けられない…
なかなかその道は険しいけれど、近道できるほど器用でもなく、地図ももたない私は、道の真ん中をまっすぐひたすら進んでいくしか無いのです。
不器用らしく、ただただ地道に。
息切れしない速さで一歩一歩。
ときどき後ろを振り返っては、「ぜんっぜん、進んで無いじゃない…!」と泣きたくなることもあるけど。
さて、今日も転びながら歩いて行こう。その道を。
自分で自分を鼓舞しながら。
高倉健とともに。
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