新月灯花というアクティビストバンド
新しい縁があり、新月灯花(しんげつとうか)というロックバンドのライブへ行ってきました。ライブレポートではありませんので、ご了承を。
聴き分けられない中年
私は音楽についてはさほど強いこだわりもなく、誘われれば大き目のフェスへ出掛けたり、1ヶ月くらい何も聴かなくても平気だったり、推しも特にいなくて、その他のアートと比べたら、わりと「なくても大丈夫なもの」だったりするかもしれません。(実際になくなったら困るだろうけど)
BGMに迷ったら、とりあえずハワイアンをかけるか、モーツァルトを流したりしています。モーツァルトはメンタルに良いことが科学的に証明されているからです。「出てくるミュージシャン、売れてるバンド、どいつもこいつも未だに恋愛ソングを歌いやがって。元カノがなんだ、君がまだ好きだ、知らん男の彼女になったよだの、なんだかんだと、もうおなかいっぱいなんじゃ」と、聴き分けることもしないで、新しい音を探すのを一切辞める時期が、中年にはあるという持論があります。
不満はどこにあるか
「元カノがなんだ、君がまだ好きだ、知らん男の彼女になったよだの」が、もう自分には合わないな、と思うのは、「不満が自分、もしくは相手」にあるからです。二人称までの音楽は、もう耳が一生分聴いたのだよね、という感じです。一方で、不満や疑問が社会にあるとき、音楽に突き動かされるものも自分にはまだあるんだなぁと、新月灯花のライブで再確認しました。
新月灯花の4人から繰り出されるのは「反戦」「反原発」「選挙」のメッセージ。華やかなビジュアルとは裏腹に、それらを当然のように音楽にのせていました。
「東京で電気を使っているのに、原発のことを何も知らない。だから話を聞きに、会いに行った」という新月灯花のメンバー。いやこんなことできます?私はせいぜい、オンラインで署名するとか、書籍で読むとか、自分が一歩も動かずにできることを、余白でやる程度です。自分の環境から一歩出て、会いに行き、相手のエリアに入り、直接話を聞くこと。それを広めて、継続すること。信念だけでは、なかなか続けられないですよね。新月灯花は、自称”ロックバンド” 見る人がみたら、ガールズバンド(レディースバンド?)でも私はアクティビストバンドと呼びたいと思いました。
We all アクティビスト
日本ではまだまだ、「活動家」という言葉が嘲笑とセットだったり、思想が強いとディスられたり、はっきり言って風当たりが強いです。私はたまたま同性愛者で生まれ、それゆえにある面ではマイノリティで、日本で生きるのに闘わなくてはいけないことが多い。だからこそ似た境遇の仲間も増えて、力になりたいと思う同志もいる。その一方では、私はシスジェンダーで、健康体で、肌の色で差別されることなく、衣食住の心配もなく、つまりマジョリティである自覚もあります。
というより、「パートナーが同性である以外のほとんどの実生活はマジョリティである」という自覚を、常に再認識し続けないといけないと自戒しています。マジョリティの既得権益って生きやすく、時に暴力的です。マジョリティは消耗しないし、消費されない。これをマジョリティ貯金って呼んでます。自分のマジョリティ貯金を使って、マイノリティである部分の活動をしていく。今の私はそのバランスで成り立っているような気がしています。
「脱原発」って、きっとまだまだ風当たりが強い。政治について話すことを良しとしない、おかしなマナーも根強いです。活動の根源が違えど、こうやって逆風の中で矢面に立ち、同世代の女性達が声を上げていること。新月灯花の音楽活動が、もっともっと世の中に知られていけばいいと思いました。
活動って嘆くことじゃないんだよ
ライブでは原発の建設予定地で暮らすおばちゃん、おばあちゃんたちの話もありました。嘆き悲しむのではなく、「SDGsな笑顔」で活動を続けているそうです。そうそう。活動ってタフであればあるほど、継続できること、つまり真のSDGsが必要になってきます。それが笑顔なのってサイコーじゃん!な、 KUNITACHI 地球屋の夜でした。「SDGsな笑顔」って本当に「その中に居る人」にしか表現できない、リアルな言葉だなぁとホロリとしました。
新月灯花は月一回の「福島JuggL」を継続されています。私のように「社会に疑問があって、なにかしたいけど、どうしたら」という方がいたら、まずは調べるところから、興味を持ったら参加してみてはいかがでしょうか。
私も11月のワンマン、行きます。
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