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ヴィパッサナー瞑想合宿ポンコツ紀 中

さて、瞑想未経験の無職が果敢に挑む10日間のヴィパッサナー瞑想合宿。いよいよ本格的な修行が始まりました。

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アーナーパーナ編 続き

Day2.自慢の海馬、死亡

4時起床。思ったより疲労はたまっていない。そりゃそうだ、です。自習時間は寝てたんだもの。シャワーを浴び、自室に戻って坐る。せめて、寝ないことだけでもやろうという反抗心が少しだけ芽を出す。でも、結果、寝る。頭から顔面の左側だけが割れるように痛い。不規則な睡眠のせいだけではなさそうです。私は頭痛持ちではないので、疲れからくるそれや、なにか病理的なものではないなと、ぼんやり分析していました。

自習時間を全て堕落した睡眠にあてると、なかなか退屈になることもわかってきました。だって改めて計算すると、マストのグループ瞑想は1日に3時間しかないのです。(実際は指導などもあって、もう少し長いですけど)日中はホールで少し坐ってみたり、やっぱり集中できなくて自室でくつろいだり、終始落ち着かない行動をしていました。しゃべらなくなって24時間以上経ったせいか、脳みそが動いていないことが明確にわかり、お昼に出たアレの名前が出てきません。あー、今日アレなんだ、好きなんだよなあ。若干、濃いめの味付けですごくおいしかった、アレ、なんだっけ??シメジじゃなくて、めかぶ、もずくじゃなくて。

私は記憶力が良いほうで、おそらく平均より海馬が発達しているというか強いんですが。

ひじきでした。

よかった!どうにか思い出せた。誰にも聞けないし、スマホで調べることもできないので、自力で思い出すしかなかったのです。もう顔面も痛いし最悪だ!とふてくされていましたが、その日の夜の講話で「体中が痛いでしょう。脚も背中も、頭痛もあるでしょう。それは全部、体の癖なのです。修行に入り、不具合が出ているのです」とされました。

通っている足もみサロンの先生が「顔面神経のツボでいつも痛がりますね。まぶたピクピクありませんか?」と聞いてこられていたことを思い出しました。実際はそんな症状はなかったし、自分でも病識なかったのですけど、なにかここに癖があったんだと、妙に納得しました。

Day3.千葉の山奥から呪詛送り

4時起床。自習時間もホールへ行く時間が少しずつ増え、マストのグループ瞑想でも「今回は絶対に目を開けない」「今回はなるべく雑念を入れない」と自分なりの目標を設定するなど、瞑想修行というよりフィジカルトレーニングと、気合いの側面が大きかったです。

1日の瞑想時間が増えるにつれメンタル面でのつらさも増して、3日目の夜はとにかく帰りたくて帰りたくてみじめで最悪な気持ちでした。「私は別に、ちょっとしたネタ作りのために送り込まれただけだし」という謎の設定で、ここにいることの認知をわざと歪ませ、サボってしまった自習時間に正当性を持たせようと無駄な難儀をしたりもしました。

そして、ヴィパッサナー瞑想コースへ行くことをおすすめしてきた人すべてを、一晩かけて順番に少しずつ呪いました。あなたがヴィパッサナー瞑想の話題さえ出さなければ、今頃こんなつらい想いなんてしていなかったのに、と。被害妄想の大きい無職、相変わらず呪詛を送ることだけは得意です。(コースを終え下山したあと、当人たちには正直に話して謝罪しました)

ここでの夜は時間軸がバグっていて、はっと目を覚ましてもまだ23時、とかが当たり前になっていました。睡眠の時間割は短いのに、時間は長い。不思議な感覚です。

ヴィパッサナー編

Day4.「2時からやばい」

4時起床。朝の自習時間もホールへ。1時間はいられたかな?肩も背中もバキバキ。でも頭痛はすっかり治まりました。まだ暗い4時半から坐り、虫の声に囲まれ、1時間終えて目を開けるころ、すっかり夜が明けている。瞑想そのものに気持ちよさを感じることは法に則ってないのですが、この感覚もまた、ほかのどんな体験でも感じられない唯一無二のものだったと思います。

朝のマストのグループ瞑想を終えホールを出ると、「ヴィパッサナーの日です」との掲示が。時間割も少し変則的になります。2時からヴィパッサナーの指導が始まり、5時まで解放されませんよ、というような予定でした。もう怖すぎて、(そして変則的だし)「2時からやばい」とだけ覚えました。仮にスケジュール手帳を持ち込んでいたら、「2時からやばい」とだけ、この日は書いていたでしょう。

誤解のないように、ヴィパッサナー瞑想法のやり方詳細は書き控えますが、全身の感覚をくまなく観察していきましょう、というもの。痛いところも、そうでないところも、全身の感覚を見ていく。そうでないところ、1ヶ所もありません。そんなはずはないのですが、痛いところが痛すぎて(粗雑な感覚と呼ばれるものですね)、その他の感覚が全然わからないのです。「逆に痛くないところを探して来いよ!!」と、ブラック企業の営業本部長みたいになっていました。顔は般若のようになり、本当に地獄の2時間でした。

2時間。

2時間どうにか、一度も目を開けず、脚を組みなおすこともなく(もぞもぞぐねぐねはしたけどね)、坐ることができました。このときの筆舌に尽くしがたい到達感で心根に火がつき、明日からはもっと真剣にやろう。自分なりの100%を目指そうと決意できたのです。

ここまでの自習時間でちゃんと坐っていれば、こんな過酷なことにはならなかったのでしょうし、営業本部長も出てこなかったでしょうけどね。

Day5.グッドラック、コックローチ

4時起床。自習時間もホールへ。確かこの日だったと思うのですが、「コロナ感染者が出なかったので参加者の判断で規制を緩和してかまいませんよ」というような掲示がされました。「コロナ感染の恐れがない集団」で過ごすというのが妙な感覚でした。コクーンみたいですよね。

瞑想の疲れを少しでも癒そうと、本当の休憩時間には自室で横たわっていることがほとんどだったのですが、気分転換にはなりません。この日以降、マストのグループ瞑想はアディッターナと呼ばれる「決意の1時間」となり、瞑想中に脚を組み直すことはおろか、腕を動かすことも良くなし、とされます。原則、微動だにせずです。アーナーパーナの3日間で、「坐れる体勢を見つけておいてね」ということでもあったのでしょう。

アディッターナは本当に集中力が要されるので、その代わりというか、ちゃんと気分転換もしなきゃ続きません。夕方歩くといい。シンプルなことでした。敷地は自然に囲まれ、空気も驚くほど澄んでます。この日から、17時のティータイムのあとはお外にいるようにしました。

そしてこの日の夜、シャンプーなどを置いておける水場の共用棚の誰かの場所に、大きなゴキブリ?強めで大き目な虫がいて、参加者の一人がそれを指さし、そして、どう見ても私を見ている。その目はこう言っている「オーマイガー。私の棚にゴキブリがいるのだが?」と。コース中はしゃべることはもちろん、アイコンタクトやジェスチャーも本来は禁止なので、虫が全然大丈夫な私は助けてあげたい一方、お作法の厳しさも理解していなく、「(どうしよう、コミュニケーションとっちゃいけないのに。私はいいけど、厳格に守りたい人だったら手助けすら迷惑だろう)」と苦悩し、そしてなぜか親指を立て、ゆっくりと頷きました。

「グッドラック、コックローチ」

なんだよ、それ。

Day6.ここにきて「笑ってはいけない」

4時起床。朝の自習時間も瞑想ホールへ。集中は1時間で切り上げましたが、朝食までの後半1時間もホールにとどまってみました。マストのグループ瞑想の際にはテープで詠唱や指導が流れるのですが、朝の自習時間にも流れていることを初めて知りました。

「え、長い?」

もしかしてゴエンカ氏、唄うの好きか?詠唱はパーリ語なので意味は理解できないのですが、(詠唱に宗教的意味合いはなく、雰囲気つくりのため流れます、とされています)それにしてもずっと続きます。「(ずっと唄うじゃん)」とツボに入ってしまい、まさかのセルフ笑ってはいけないタイムの到来。終わったかな?と思ったら戻ってきたりして、フェードアウトしていく音響処理も本当にハマってしまい、だめでした。

この日の気分は、イライラ、怒りっぽい。ヴィパッサナーが思うようにできていなくて、とにかく怒りの感情に囚われていました。

Day7.悪魔のパスタ

4時起床。朝の自習時間もホールへ。ランチにパスタが出て、「いけない」と思いつつもお腹いっぱい食べました。もしかして生涯でもっとも感動したパスタだったかもしれません。食後にはチョコレートケーキまで。普段からグルテンフリーを意識しているうえに、ダンマーディッチャに来てからは完全に断てていたので、反動がすごい。お昼寝もめっちゃしたし、午後の瞑想は内臓という内臓が重く、肌にタールがまとわりついているような不快感がずっとありました。

Day8.営業本部長、再び

4時起床。朝の自習時間もホールへ。順調に過ごしているように見えますが、肝心のヴィパッサナーがまったく上達せず、痛みという粗雑な感覚以外のものが抜け落ちている気がしていました。「痛み以外の感覚も探して来いよ!!」と、ブラック企業の営業本部長がまた見回りに来てしまい、身体という名の現場に緊張感が走ります。

そして「何周意識が身体をめぐっても、それでなにになる?なにかがどうなるわけでもないしな?」と正直ちょっと飽きてもいました。マストのグループ瞑想でのテープの指導もどんどん長くなっていき、「おじの武勇伝」を延々聞かされているようで、聴覚のストレスも相当たまっていました。まだしゃべるんかい、と。いつまでしゃべるんかい、と。(すみません、ゴエンカ氏の貴重な指導なのですが、ここは本音で・・)

仏教の言い回し特有の「何度か同じことを繰り返す」×インド英語+それを訳した日本語。インド英語のアクセントも感覚に合わなく、一方で何日も聞き続けているとおのずとある程度は理解できるようになっており、さらに日本での訳も再び聞かなきゃいけない。目を瞑ってテープを聞いているということは、しゃべり手の表情もつかめず、どこで終わりそうか見当もつかない。この頃はとにかくテープが苦痛でした。

Day9.人生で一番きつい夜

4時起床。朝の自習時間もホールへ。長い詠唱のフェードアウトにまたちょっと笑う。でもそんなフフも、朝で終わり。この日からテープでの指導がさらに長くなり、(長くなったように錯覚しただけ?)内容も波状で畳み掛けるように流れが変わりました。フィジカルはとっくにしんどい。身体の痛みはすでにビヨンドしていて、集中の妨げにはならない。(嘘。まだちょっとなる)生活にも慣れてみじめさもとうに消えている。

苦痛は、とにかく延々にしゃべるテープです。さっきも同じことを言ってましたよ、と。それは朝にも言ってましたよ、と。ちょっと一方的にしゃべりすぎではないですか、と。終わったと思ったら継続されるあらゆる接続詞に、本当に一時的に恐怖症になっていたかもしれません。

夜は指導だけでなく講話も長く、「もうおじの話はうんざりです・・」と満身創痍で床に就きました。聴覚の支配が、私は深刻にダメなようです。ヘッドホンで不快音を聞き続けさせられる拷問にあったら、国家機密でもなんでもすぐに吐いちゃうだろうななんて考えていました。明日の”神演出”も、この頃は知らずに・・。

Day10からは、ラスト下巻へ続きます。


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