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収益もフォロワー数も気になるけど、とらわれすぎないでいたい。私は「エッセイスト」なのだ。

みなさんこんにちは。100日間ジャーナリングチャレンジ#ジャナチャレ)をはじめて3日が経過したので、振り返りをしました。



わたしには「リアル」と「ネット」の世界がある

まず、ジャーナリングDay.1では「理想の姿」について考えました。
その結果、わたしの理想の姿は、以下でした。


  • 仕事ができる

  • 英語が話せる

  • スタイルがよい

  • 心身ともに健康である



そして、これらを深掘りすると、どうにも自分には「リアル」と「ネット」の2つの世界があり、理想の姿は「リアルの世界」にあるようでした。



いま力を入れているのはネット。だって楽しいから

Day.2では、「現在課題だと思っていること」について考えました。

Day.1で出した「理想の姿になるための課題」と「現在の課題」にどれくらいの距離があるのか知りたかったからです。
わたしがいま課題だと思っているのは、以下でした。


  • noteの方針

  • 英語勉強(とInstagramの勉強アカウント)

  • キャリアコンサルタントの活動



この先、noteで始めたい活動があり、それをどうするか。
インスタの勉強アカウントと、英語勉強のかけあわせ。
キャリアコンサルタントとして、モニター募集をどうするか。
そんなことがいまのわたしの心を占拠しているようでした。

しかし、これらは、(英語を除いては)Day.1の課題、およびその先の理想の姿に繋がるものはありません。

わたしが現在考えている課題を達成したとしても「理想の姿」にならないのなら、その努力は骨折り損になる可能性があります。


微妙に重なり合ってない


なぜこんなことになってしまうのでしょう?
理由はいくつかありますが、一番大きいのは、わたしが仕事ができない環境にいるからです(ビザの問題)。だから、ネットの世界でキャリアを伸ばすしかない、と考えていたのでした。

でも、本当にそうでしょうか? それは思い込みではないでしょうか?

リアルの生活に理想の姿があるならば、どうしたってリアルの自分を充実させる必要があるのです。
でも、ベン図の重なりがないネットの世界に浸かってしまう。楽しいから。逃げている。


リアルとネットの世界を近づける

Day.3では、「では、どうするか?」を考えました。

ネットでの活動は、わたしの好きなことです。書く。読む。知る。すべてわたしの好きなことです。

これを真っ向から否定したら、それは「わたし」でなくなる気がして。

それならば、方法は2つです。


  1. ネットの時間を減らして、リアルの時間を増やす

  2. ネット≒リアルになる道筋を考える



どちらも経験がありますが、1.をしたとしても、結局好きなことがネットにある場合、どうしても戻ってきてしまいます。

それなら、2.の、リアルの理想の姿に近づける活動をネットでする、というのがわたしにとって心地よいのだろうな、と思いました。



note。フォロワー数も収益も気になるぞ。

そもそもnoteを始めたきっかけは、「書くことが好き」だからです。



だけど続けるうちに、いろんなすごい方が目に入るようになりました。


  • フォロワー数が○人もいる

  • 有名になってビジネスに繋がってる

  • 書いたもので収益があがってる



す…すぎょい……素直に称える気持ちと、うらやましい気持ちが同居し始めました。

こうなって自分を見失うのが嫌なので(経験済み)、「うらやましいな」と感じる原因と、自分がどうありたいかを見つめることにしました。



noteのカテゴライズはだいたいこれ

「書く」のジャンルは、大きく分けると以下に分類できます。


  1. エッセイ・日記

  2. 情報提供・シェア



これに、以下の欲求がくっついたとき、人は「noter」になります。


  1. noteから本業にリーチして欲しい・商品を買ってもらいたい

  2. note自体から収益を得たい

  3. 読んでもらいたい

  4. 誰かと繋がりたい



わたしは、これらの欲求は「書く」うえで健全なものだと考えています。
なぜなら、この欲求がなければ、それはチラシの裏にでも書いとけ! という話になるからです。

どんなに清廉潔白・天衣無縫な人物でも、noteを続けるかぎり、これらの欲求のどこかにはつながっているはず。
そして、それは汚くなんかない。人間なら、正常です。

むしろ、この「欲求」があることをまず認めないと、どんどん苦しくなる。
だからいさぎよく、認めちゃうのです。


わたしの「書く」欲求は

わたしはぼんやりと「いつか、自分の書いたものを売りたい」と考えていたので、ここでいうと「2.note自体から収益を得たい」「3.読んでもらいたい」の欲を持っています。

では、どのようにしてその欲を満たせばよいか。
それをするために、わたしは何をすべきなのでしょうか?

ここでもう一度、「書く」のジャンルを思い出してみましょう。


  1. エッセイ・日記

  2. 情報提供・シェア



収益を得るためには、自分の持っている一次情報を他者にシェアするのが一番の近道に見えそうです。

わたしも、そうするか。わたしが生きて経験してきた物語をシェアするか。

それをするなら、問わなければ。わたしは「だれ」だ?


わたしは「だれ」?

わたしには、いくつかの肩書があります(ありました)。


  • 大手勤務の会社員

  • 管理職

  • 時短ワーママ

  • キャリアコンサルタント

  • 駐妻

  • 読書好き

  • 文化・芸術好き

  • ゆる知育



じゃあ、わたしは「だれ」なの?
どの情報を、書いていくの?


わたしは「だれ」でもない。わたしは、エッセイストなのだから。


そう、わたしの「書く人物」としての自認は「エッセイスト」なのです。

どうしたら時短勤務で管理職になれたのか、とか、大手企業に就職するにはどうしたらいいのか、とか、フルリモート勤務ってどう?とか、そういうことを自分の看板にするのは、ちょっと違う。


もちろん、魔が差したり戦略的になったり、昔のことを回想して書くことはあるだろうけど、ひたすらそれを情報提供し続けるのは、わたしの「書く」じゃない。


わたしは、エッセイスト。
わたしは、リアルの世界に理想があるひと。

それなら、「収益」とか「フォロワー数」とか、そういった強い、自分の力だけではどうにもできない指標に惑わされすぎる必要はないのでは?

いや、そもそも、「書く」ってそういうことだっけ? 他者から評価されるべきものだっけ?
わたしたちが最初に「書いた」とき、感じたのはよろこびだったはず。
そう、「書く」は「よろこび」なんだ。


で、結局、どうするの?

「ネットの世界をリアルにつなげる」から始まった、noteをめぐる一連の旅。

結局、三日間では「ネット≒リアルになるにはどうするか?」という問いには、完璧には答えることができませんでした。


でも、わたしは「エッセイスト」でありたい。
リアルの世界を充実させたい。
書くのが好き。興味のあることを深掘りするのが好き。
そのうえで、ネット≒リアルの活動をしたい。

これらのエッセンスを抽出することには成功しました。

さて、100日チャレンジはまだはじまったばかりです。
これから、わたしの考えがどのように変化していくのか。ジャーナリングを続けることで、少しずつ明らかにしていきたいと思います。


最後に、ゆる企画のお誘いです

こちらの記事にあるとおり、ゆる企画「ジャーナリングをはじめませんか?」を開催中です。



# ジャナチャレ」 のハッシュタグをつけてnoteに投稿していただければ、スキしに遊びにいきますので、ぜひこの機会に、ともに新たな自分を発見しにいきましょう!




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まみ┆キャリアコンサルタントな駐妻
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