時を駆ける少女
ここ数日、私が住んでいる地域でも、夕方や夜に電車内で浴衣を着て、髪を結った女性を見かけることが多くなった。
和柄の落ち着いた色の浴衣を見て、可愛いなあと思わずじっと見てしまいそうになる。
私の生まれ育った故郷で、毎年8/5に開催される花火大会がある。
地元は元々、交通の便が良い場所ではないので、
気軽に行ける夏祭りと言えば、唯一この祭りのみであった。
毎年この夏祭りへは、幼なじみと浴衣を着て、クレープを食べて参戦するお決まりだった。
だが、今年の8月は地元から離れた都会に住んでおり、お盆で1回地元に帰り、下旬にも故郷で開催されるロックフェスへ行くためにもう一度帰省することを考えると、交通費がバカにならないため、毎年行ってた夏祭りへ行くことを諦めたのだ。
花火大会の前日、幼なじみは「ほんとうに行かないの?」と連絡してきた。
毎年のように出かけていたから、行けないことが申し訳ない気持ちになった。
幼なじみとはその代わり、お盆に会うことを約束した。
夏祭りを諦めた代償はそこはかとなく大きかった。
友達がインスタのストーリーに浴衣姿の写真を載せていた
中学校時代の同級生が、大きな色とりどりの花火の動画を載せていた。
東京に進学したって聞いたけど、今は帰ってきているんだ。
高校の時に仲良くなったけど、色々な事情があってすれ違って1年もしないうちに、口も聞かなくなってしまったあの子が、同級生とお酒を片手に楽しんでいる写真を載せていた。
私だって、私だって。
何故だか言葉にできない思いが込み上げてきた。
夏祭りに行けず、去年の花火大会の動画を見ている自分が酷く虚しく思えた。
画面の中で大きな蕾から開花した、火でできた花びらは、ひとひらひとひら、ゆっくりと、湖へ落ちていく。
本当は私だって花火大会行きたかった。
私は去年の夏祭りを思い出していた。
母が若い頃に買ったという、真っ赤な浴衣を思い出す。自分の身体のサイズに合わせて作ったんだと言っていた。
真っ赤な生地に、ところどころ白い花が施されたデザイン。今はもうどこを探しても見つからないであろう珍しい意匠が好きだった。
今年もあの真っ赤な浴衣に袖を通したかった。
世の中には様々な文化の、多種多様な衣類がいっぱいある。が、その中でも浴衣は自分にとって特別な衣装だった。
夏にしか着ることが出来ないという特別感、長い袖に腕を通したときのワクワクした気持ち、帯で巻かれて少し苦しくなった下腹部、着付けが終わって、鏡を見た瞬間(夏だなあ)と実感する。
下駄に足を通して、意味もなくからんころんと音を鳴らしてみたくなる。
浴衣に使われている色と柄の種類は計り知れない。どんなデザインにも良さがあって、空が夕闇になりかけて、屋台のオレンジ色の光に照らされた可愛い浴衣たち。
友達と毎年同じクレープ屋に足を運んで、生クリームいっぱいのクレープを頬張った。
毎年毎年、水も飲まずにひたすら食べまくってたもんだから、気持ち悪くのがいつものオチだった。
そして誰か同級生と会わないかなーとドキドキしながら、小中高の同級生を探して、見つけはするけど話しかけないという謎のゲームをした。
隣で、大きな大きないくつもの花火に夢中になって。
幼なじみの実家でお酒を飲んで、制服を着ていた頃の思い出話を永遠にしていた。
毎年当たり前のような時間だった。
何事も当たり前になると、大切なことを忘れていく。
気づいたら私は、時をかける少女ならぬ
「過去(とき)を駆ける少女」になっていた。
タイムリープなんかあるわけないっつうのに。
戻りたくても、もう戻れないあの時間こそが、キラキラした花火のような、花火が咲いて落ちるまでの永遠に思えた時間だった。
戻りたいと思える時間、それこそ美しい。
大切に祀られた化石のように。
代償は大きかったが、その中のビー玉のようにちいさな化石を見つけていた。ビー玉の中には思い出が詰まっていた。
時間は大切に扱わないといけない。
Time waits for no one