なぜ生きているのか謎の女、わたし

家に、弟一家が来ていた。彼は、背が高く公務員で、美人で明るくて性格のいい奥さんと結婚していて子供もいる。わたしたちはもう10年以上、二人で顔を見合わせてコミュニケーションしていない。いつからそうなったとか、明確なラインがあるわけではないが、わたしが不登校になってからの劣等感によるところが大きいと思う。加えて、わたしたちが高校生の時、わたしが彼の漫画を密かに勝手に読んでいて、どうしても続きが読みたくなって、彼が寝ている部屋に忍び込んでドラゴンボールの18巻をそっと持っていったことがバレたときも、彼の、姉を軽蔑する態度にいっそう磨きがかかった。

数年前、嫌々出席した弟の結婚式で、新婦側のお姉さんにこう言われた。
「●●くんは、一人だけ身長が高いんですね。お父さんもそこまで高くないのに。多分、遺伝的にはそこまで背は高くはならなかったのに、かなり無理してスポーツして、体を作ったんですね」
言葉にするとちょっと嫌味っぽく?なるかもしれないけれど、お姉さんの言葉はわたしにスッと入ってきた。それは嫌味とかではなくて、むしろ、弟の努力を称えるための、賛美歌みたいなものだった。

家族のことは散々書いてきたけれど、メンヘラで精神年齢3歳の母、モラハラで5歳の父、0歳時の祖母に囲まれたこの家は、しょっちゅう地獄のような争いが起きていた。家の中で、怒声や泣き声、大きな音が響いていた。祖母は子供の前で、憎しみに満ちた声音で母を罵ったし、何だったら子供を巻き込んだりした。こんな地獄みたいな家の中で、おかしくならない方がおかしい家の中で、彼は両親の期待を両肩に乗せ、スポーツに取り組み、筋トレし、体を鍛えて、弱さを克服しようとしてきた。

高校生になった彼は、とても厳しいといわれていた、あるスポーツの部活に入った。さっき母が話していたけれど、彼はあまりのキツさに、もう辞めます、と顧問の先生に言いにいったそうだ。そして、先生から、「強い男になりたくないんか」といわれ、泣きながら、「なりたいです」といって、部活を辞めることを断念し、そして努力し続け、(両親が期待する通りの)ほどほどのエリートコースにのったわけである。

書いていて、くらくらしてきた。昭和やんけ。昭和。マジで吐き気がする。
というのは、わたしも途中まで彼と同じように、弱い自分を殺し殺し、殺し続けて、努力して努力して努力し続け、外側の、無理しない人・ありのままの人・弱い人・繊細な人、を軽蔑し忌み嫌い、グツグツと妖怪になりながら、世界を憎み続け生きてきたからだ。

わたしと弟のなかの男性性は、父親の系譜をなぞっている。父親は、ひどいモラハラの男で、自分自身の弱さを死んでも認めることができない。強いものに逆らえないが、そのかわり、女子供、自分より弱い者は容赦なく抑えつけボコボコにする、卑怯で矮小な男である。また、自分はまともではないのに、子供には“まともな人間”であることを強制する。

今日、弟を見ていて、暴力と呼んでもいいぐらい父に抑えつけられてきたことを、わたしは思い出した。そして弟は、完全に親に人生を捧げる犠牲になったのだということも。わたしは、実家に帰ってきて3年になる。弟が一家を連れて遊びにくるたびに、わたしは彼を避けていた。避ければ避けるだけ、彼が変にわたしと話そうとしていることをなんとなく知っていたが、彼がそばに近づいてくるだけでも動悸がしたし、気が動転して、内心パニックになっていた。莫大な劣等感。そして、『人に見せる人生』の筋書きがゼロな自分を、心底恥じていた。

けれども、今日。わたしは、2度目のアルバイトを辞めたばかりだ。弟の人生の視点からみたら、わたしは「オワってる」。けれど、なぜだか、昨日急に、『自分で自分を認める』ということに気づいたのだった。わたしの劣等感は、小さくなっていた。姪っ子とはふつうに遊ぶのだが、姪っ子ごしに弟に接した時、今度は逆に、彼のほうが戸惑い、わたしを避けているのではないか、とうっすらと感じた。

わたしは、何も持っていないのだ。高給取りの年上の恋人に振られて。実家に帰ってきて。友達もおらず。バイトすらしておらず。もう若くもなく。体力もなく。
ぐらぐらの、恐怖という土台の上に、ひたすらの努力で、根性で、何もかもを積み上げてきた彼からしたら、マジで、何で生きてるかわからないレベルなのだ。それなのに、部屋に引きこもることもなく、自分の娘と楽しげにお絵かきしているだなんて、もう意味がわからないのであろう。もう、怖い。恐怖でしかない。極めつけに、いま、わたしが『まぁまぁ幸せ』だなんて知ったら、意味わからなすぎて椅子から転げ落ちて奇声をあげるであろう。

これはただ、これまでの劣等感が優越感に変わったものだというのは自覚しているのだけれど、わたしは、実家に帰ってこれて、むしろその前に、年上の恋人と別れてそれまでの人生をドロップアウトできて、よかった、と思っている。

わたしは、何もいらないのだ。何もなくても、誰もいなくても、両親さえ心からいなくなっても、ついには、自分で自分の価値を認められる、というところまでやっと、きた。ずっと、自立の準備をしてきた。それがようやく出来はじめたということなのだ。はじめて、手応えを感じた。よっしゃー!!って感じ。トンネル抜けそう。マジで嬉しい。無駄に引きこもってるわけじゃなかったんだな。ほんとよかったな。

もし何かこころに響いたら、ぜひサポートをお願いします ╰(*´︶`*)╯♡