完全に放っておかれる生活の安心
母が過干渉でわたしのパーソナルスペースどころか、手足も精神も体の健康もすべて奪われていたということに今日気づいたばかりなんだけど。
わたしには、謎の中年女性と一ヶ月間、共に生活した経験があった。
彼女との生活がなかったら、もしかしたら、わたしは今日、母の過干渉によってこんなにも自分が消耗していたことに気づかなかったかもしれない。
ナカムラさんのことを書き残しておきたいと思った。
今から2年前の夏、わたしは現実から完全に逃げきるため、軽井沢に泊まり込みのバイトに行った。軽井沢のハイソな喫茶店で、クラシカルな制服を着て、コーフィーやパッフェを出したりしていた。“優雅な自分”に酔って現実を忘れられたのは最初の3日だけだった。それは労働で、逃げてきた生活と、地続きのものだったから。
店長はやせ細った神経質な男で、自慢と金の話ばかりしていた。仕事自体は楽しかったし、軽井沢は大好きな場所だったけれど、繁忙期のために週6で働き、本来働くのが大っ嫌いなわたしは、ストレスで爆発しそうになっていた。ていうか情緒不安定すぎて店長の前で一回ギャン泣きしたりした。
なぜそんなにも逃げたかったのかというと、当時同棲していた彼が恋人を作って、家に帰ってこなくなったので、それの腹いせのためだったのですが。軽井沢は恋人と2,3回訪れたこともあって、思い出の町でもあったけれど、何より、風の通りのいい、両脇を針葉樹に囲まれた通りを歩いているのが、わたしは大好きだった。とても、体が喜ぶ感じがしたから。
それは泊まり込みのバイトだったのだけど、寮はいま人がいっぱいとかで、わたしには一軒家が貸し与えられた。一階はキッチンとお風呂とリビング、二階は階段を上がった右側と左側にそれぞれ部屋が1つずつ。わたしは右側の部屋で、わりと広くて、ベランダもあった。そこの左側の部屋にずっと住んでいるのが、社員のナカムラさん(仮名)だ。
最初、一軒家に女の人と一緒に住むと聞いて、どんよりと嫌なイメージしか持てなかった。今にして思えば、母親のおもちゃ&奴隷だったのだから当然なのだけれど、当時はそれを意識化できていなかった。
しかし、わたしの思い込みに反し、ナカムラさんは驚くほどにわたしに無関心で、同じ家に住んでいるにも関わらず、ほとんど干渉してこなかった。しかし人を嫌悪しているのとも違っていた。ナカムラさんは、ただあるがまま、素だったのだ。素で、人に興味がなかったのだ。
わたしとナカムラさんは、同じ家に住んでいたけれど、別々の店舗に勤務していたから、出勤・退勤の時間も、それぞればらばらだった。大抵の場合は、朝はナカムラさんの方が早く起き、わたしが玄関の鍵をかけた。帰りはナカムラさんの方が早くて、わたしが帰るとすでにキッチンで料理を済ませて、リビングでテレビを見ながら、だらだらと夕飯を食べていた。わたしは、キッチンに置かれたテーブルで夕食をとっていたから、ごはんもそれぞれ、別々の部屋だった。
初日、もしかしたら、ナカムラさんのいる部屋にご飯を持っていって、一緒に食べたほうがいいのかな…と一瞬だけ考えたけれど、わたしの頭の中のナカムラさんは、「ここから先はわたしのスペースだから入ってこないで」と言っていたから、それに従った。たぶんナカムラさんは、どうでもよかったと思う。どっちでもいいじゃなくて、どうでもいい。人なんか、どうでもよかったのだ、きっと。
人に一切興味のないナカムラさんに、最初は、「お風呂、お先です」とか、声をかけていたけれど、もう段々、わたしが先に入って、ナカムラさんが後というサイクルができつつあったので、声もかけなくなった。かといって、完全に関わり合わずに生活しているかと言われたらそうでもなくて、ナカムラさんが、わたしの洗い終わった食器を元に戻してくれている日もあったし、その逆もあった。
わたしが洗濯機を使いたくて、まだナカムラさんの洗濯物が中に入っている時、「ナカムラさん、すみません、ちょっと、」というと、あらあらという感じですぐに動いて中のものを取り出してくれた。ゴミの件で質問があったときも、普通にそれに答えてくれた。
基本的に無関心で、わたしの行動には干渉してこないけれど、わたしからの働きかけにはすぐに応じてくれる。たったこの二点だけで、わたしは、”人として尊重されている”という感じを味わった。生まれてはじめて。
何よりも、無意識に憎しみを抑圧していて、本当は人が大嫌いなわたしにとって、ナカムラさんのマジの無関心は、癒しですらあった。
基本的に放っておかれる生活、だけど最悪、何かあった時は(多分)頼れるという安心感は、わたしを心からリラックスさせた。それは、とても自由で、わたしは何でもしていいのだ、する権利があると認められているようだった。(そしてあまりに目に余ったら、迷惑なことをしていたら、きっとナカムラさんは言ってくれる、ということも、信頼できた)
そして、干渉されることはないけれど、中年女性が同じ家で暮らしていて、ちょっといい醤油ダシとかが戸棚に置かれていたり、右側はわたしのスペースなので、左側にものが寄せられている冷蔵庫なんかを見た時、なんか、共同生活も悪くないな、と思ったりした。あの時のわたしにとって、ナカムラさんは、ちょうどいい距離感を保ってくれた人なのだ。
一度、わたしは車の免許を持っていなかったので、自転車で15分かけてスーパーに行ったりしていて、急に雨が降ってきて、ずぶ濡れのまま帰ったことがあった。
玄関をあけるとナカムラさんが向こうにいて、わたしは帰ってきたばかりの変なテンションで、興奮しながら、「雨で、もうずぶ濡れですっ」とデカイ声で叫んだ。ナカムラさんは同情したみたいに眉をひそめて、「あら〜大変だったね」といった。
この頃のわたしはもう、ナカムラさん大好きフィルターがかかっていたので、ナカムラさんのそのリアクションだけで、バスタオルを差し出してもらったような気持ちになったことを覚えている。受け止めてもらった、と感じたのだ。
誰かも言ってたけど、何かをしてくれたことの感謝よりも、しないでいてくれたことの感謝の方がじつは大きくて、無駄な気を使うよりも、あるがままの自分でいたほうが、よっぽど人に貢献できることもあるのだと、わたしはナカムラさんの件を通し改めて感じた。彼女はただ彼女自身でいただけで、わたしを一ヶ月だけ、毒親の不自由さから、救い出してくれたのだ。
軽井沢を後にする日、わたしはナカムラさん用に、2つもお土産をテーブルに置いていった。最後に挨拶に行ったとき、わたしがなぜかナカムラさんを大好きだというのは、彼女にも伝わっていたような気がする。でも、何もしてすらいないのに、なぜこの子はこんなに自分のことが好きなのだろうと、ナカムラさんは謎だっただろうな、ちょっと怖かったかもな、と今考えている。だけど、とにかくナカムラさんと一緒に過ごしたあの一ヶ月の自由さを、わたしは忘れない。彼女が誰と住んでも彼女のスペースを保持していたみたいに、人といてもわたしはわたしであることを、わたしでいていいんだということを、彼女は身を持って教えてくれたのだ。
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