さよなら、可哀想なひとたち。

「わたしって、友達を作れないの?」と悩み出したのは中学1年生のはじめごろだった。今思えばそれは、くそみたいな毒親育ちで、母という女を憎み、しかもそれを無意識に抑圧していたからなのだが、「みんなと同じように友達を作れない」わたしは自分を責めたし、なんとかこんなわたしでも仲良くしてくれる女の子を探していた。

まだ4月とか5月で、みんな席の近くの人に話しかけながら、自分に合う、合わないを探っていた時期だ。でも、ある程度性格のハッキリした子はすぐに固まりはじめて、そんな子を尻目に、私は焦っていた。今思えば、わたしは別に誰とも仲良くなんかしたくなかったし、むしろ、ハッキリ言って、生きることそのものが苦痛だった。ただ、異質な人間になるのを回避したい気持ちだけが異常に高かった。

わたしは幼少期、団地暮らしで、母は他の母親からハブられぎみだった。「母の劣等感を解消するため」に、わたしは同い年の子供と遊ばされていた。それはただの精神的な縛りでしかなく、とても苦痛なことだった。今思えば、一人で遊んでいる方がずっと楽しかったのに、わたしはそれを母に言うことができなかった。

女の子と一旦は仲良くなるのだけれど、わたしがあまりにもつまんないから、いつも他の子のところに離れていっちゃってた。そのたびにわたしは、捨てられたみたいに感じて、悲しかった。今思えば、人が嫌いで嫌いでしょうがなく、心が閉じていて、一緒にいて楽しい会話ができるわけでも、喜びを分かち合えるわけでもなかった。単純に、わたしには相手に与えられるものが何もなかったのだ。でも、自分でもじぶんの気持がわからないから、ただいつも、なんで?って、捨てられた子犬みたいに小首をかしげていた。


月日は流れて、わたしは高校のときも、大学のときも、本心からの友達など一人もできず、憎しみを隠したままで、だけどどうにか距離を保ちつつ、どうにかこうにかやってきた。一生懸命、大人になったふりをしていたのだ。

今思えば、わたしはこれまで、「可哀想なひと」とずっと一緒にいた。母も父も。恋人も、それから友達も。可哀想な人をみると、いてもたってもいられず、全力で尽くそうとした。特に成人してからは、女の「可哀想な人」には目がなくて、だいたい女の可哀想な人というのは極悪で、自分のことしか考えていなく、底なしのわがままをいって人を搾取してくるのだが、わたしはそれでも頑張って尽くしてしまった。

自分みたいな人間を必要としてくれるひとなんか他にいない。わたしは何にもできなくて、何の価値もなくて、役に立たない、つまらない人間だ。だけど頑張るから、お願いだから捨てないでほしい。それから、「あなたがいてくれてよかった」って、まったく心がこもってなくても、口先だけでいいから、一言だけ言ってほしい。それが、たぶん、わたしの本心で、願いだった。存在への許し。

わたしは、とてもかわいそうな人間だった。生まれた時からずっと、かわいそうな人間だったのだ。もう外側に可哀想な人を見つけて、その人に尽くすことで自分を慰めようとするのはやめよう。ただ、自分がうんと可哀想だったことを認めればよかった。本心をちゃんと聞いてあげたらよかったんだ、と思った。おわり。

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