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10月16日 新聞は読書欄が捨てがたい。銀座伊東屋オリジナルノート+革カバーに続いて紙ファイルを購入したことなど。

今朝は体重測らず。。

この3日間はチートデイズで、白米、中華、麺(焼きそば、パスタ)、アイス、スーパーののり弁、ビールなどを食べ・飲みまくった(まあ、白米は品薄なので、食べまくったとまではいかないが)。

高GI食品、添加物、小麦粉、AGEs品などを食べるのは、あまり調理に時間を賭けられない場合は仕方がないところがあるだろう。
今回はナン食べまくりやごはん大盛り、というのは避けることができたのでまあまあといえよう。
だがその結果を見るのが怖い、という感じで今朝は体重計に乗れず。。まあ体感では65キロ、体脂肪12%オーバーといったところか。。

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「百冊で耕す」近藤康太郎さんの著書には、大いに啓蒙頂いた。
さすが新聞社で35年以上(うろ覚え)働かれた叡智が詰まっている(1963年お生まれと思うのでもう40年近いか?)。

百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術
百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術
作者:近藤 康太郎
CCCメディアハウス
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前に本欄で、銀座伊東屋オリジナルノートに同じく伊東屋オリジナル革カバー(オレンジ)を購入したことを記したが、今回は留守宅に帰って数週間分の新聞読書欄を破って紙ファイルとクリアファイルに綴じ込んだ。

100円ショップでプラスの紙ファイルを購入、あとクリアファイルが1枚ずつではなく10枚がまとまって紙ファイルに綴じられるタイプのものを購入した。

これがなかなかよくて、そもそも新聞というのはいまいち紙ファイルに合ってなくて、別途リフィルに切って貼る(切り張りスクラップブックスタイル)ことしかやったことがない。
私は結構ライフログ好きで、スクラップブックなどもまあまあ作って来た。今はあまりやらないが、インスタなどは公開なしで資料保管用のアカウントを作っていたりする。

今回近藤さんの著書で教わったのは、新聞の読書欄はいいぞ!ということ。近藤さんは朝日新聞記者であったと記憶するが(天草支局??)私は子供のころはずっと朝日新聞読者であったが、今は読売新聞読者である(まあ、単身東京住まいでは購読していないが)。

そして朝日でも読売でも、毎週一番楽しみだったのが読書欄。気になる本はその足でよく図書館の在庫を調べたりしたものだ。
そして運よく借りることができれば、読後感がよろしければ購入に至ることもあるのだ。

まあ、卑近な例?かもしれないが、同棲、結婚、みたいな感じだ。

近藤さんの著書では、うろ覚えだが読書欄の評者は新聞社で優遇されていて、評者は新聞社で集まって批評を提出??したあと、新聞社内か外で集まって食事しながら話し合ったりする、ということだ。
当代きっての読み手が集って、最新の本を読みまくってその結果を話しまくる、という場、なんと愉しそうな空間なのだろうか、と憧れる。

まあ、一読者である私は、その楽しさをうらやみつつ、結果である書評を読むわけだが。。

これもなんというか、こちらに余裕がないとうまく受信できない。

日曜朝で時間があって、睡眠もまあまあ足りていて精神力が復元している状況であれば、列記された本の中で、「これはなかなかおもろそうやな!」という本を発見することができることが多いのだが、

例えば時間がない、日曜に読めなくてWEEKDAYに読む、などすると評を読んでもいまいち内容が把握できなかったりするのだ。
そしてあとから読んでみると、「あれ?これはおもろそうやないか??」となったりすることもある(ほとんど読み返しませんが)。

まあ、そういう問題点を抱えていたので、近藤さんが書評を紙FILEに入れて保管していること、そして図書館を利用して数紙の書評をCOPYしてFILEしている、という工夫をされていることを読んで、なるほど、これはよさそうだ、と思ったのだ。

とりあえずは紙FILEの購入だな、と思い、昨日散歩途中で100円ショップに寄ったのだ。そして帰宅して数週間分の新聞読書欄をビリビリと破いて1/4に折っておもむろに紙FILEのクリアフィアル(ややこしい)に入れる。

うーん、いい感じである。

今朝はさっそく東京に向かう早朝の新幹線で、FILEを取り出し、読んでなかった日の読書欄を読んでみた。

8月18日の読売新聞読書欄で、遠藤乾東大教授の評で、35歳でオクスフォード大教授に就任したというベン・ラッセル著「政治はなぜ失敗するのか 5つの罠からの脱出」なる本を知った。

政治はなぜ失敗するのか 5つの罠からの脱出
政治はなぜ失敗するのか 5つの罠からの脱出
作者:ベン・アンセル
飛鳥新社
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私は子供のころから政治が嫌いで、だが最近ではどちらかというと、TVなどで見てきた政治家の顔やしゃべり方や雰囲気が嫌いだったのかな、と思っている。

政治により、より良い人間社会が地球レベルですみずみにまで実現するのなら、こんなにいいことはないのである。どうすればそうなるのか、ということを考えることは別に嫌いではなく、むしろ面白いことにじわじわ気が付いてきた。

以下、同書の遠藤乾教授の評から引く(注:評の文章そのものではなく、評の内容を私が書き直したものです)。

政治の陥る5つの罠
①「民主主義」において、一致した民意など存在せず、それをカオス、分断、独裁に至らずに集団としての決定に昇華するのは困難だ。
②「平等」は大事だが、権利としての平等と結果としての平等のあいだで分裂しうる。
③「連帯」は素晴らしいが、自分に利するときにのみ真に望ましい。
④「セキュリティ」は、内外の暴力から逃れるのに必要だが、それを保全する国家や警察・軍が牙をむく可能性がある。
⑤目の前の「繁栄」は、喉から手が出るほど欲しいが、将来世代の環境と繁栄を奪いうる。

すべてなるほどと思うことばかり。
ではそれについての解決策は?
おなじく遠藤乾教授の評から引く(同じく評内容を、段落等を変えて表記)。

鍵は、制度と規範だ。
①自己利益を集団的決定につなげるには、何らかの構造が必要で、制度はそれをもたらす。
②規範は、自他ともに従う行動パターンで、それらを受け入れることで信頼が生まれる。

そして結びに続く。

そんなとき、政治は、未来に約束を埋め込む営みとなろう。


日々の暮らしで、世代間、貧富の差、親ガチャ、人種、国家、主義、宗教などの別によって、まとめることなんかできるのだろうか、と感じてきた。
まあ、無理やな、とあきらめるのではなく、じっくりとジワジワとすこしでもよくなるようになってもらいたいものだ。

そういうことを考える、手引きとなる本だと感じた。

(書評だけで読んでませんので、早速図書館に予約しましたー。。予約者4人待ちでしたが💦)






お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。