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8月20日 意識して頭を別のことで満たす。
くよくよ悩むことがある。
どちらかというとループで同じことを考えている。
それを変えるには、意識して頭を別のことで満たすのがいいだろう。
悩んだときに、入れ替える為のコンテンツ、というものを持って置き、できれば朝通勤途上などで”唱える”。
そうするとけっこう気分が変わるのだ。
ほかの事が考えられないようにするのもいい。
筋トレは私にとってはいい手段だ。限界に近い重量を10回ぎりぎり位でやると、結構頭は切り替わるのだ。というか頭は真っ白だ。
風呂もいい。結構心が”流れ出す”。いろいろ風呂だと思いついたりする。
今朝は”夏休みの宿題に対する対処法で、その人の性格がわかる”というのを考えた。
私は、夏休みの宿題なら、数種目あるので、好きな科目(お絵かきとか絵日記とか工作とか)はやっておき、漢字ドリルは結構好きだったのでちょと手を付けて、それで安心してあとはずーっつと放っておいて、最後で残りを焦ってやる、というパターンだろうか。
小心者なので、ちょっとやって(全体の1-2割)、それで無理やり安心して自分をだます、という感じだろうか。
完全に放っておきたいのだが、それもできない。
ただし、前半で完了させることはできない。
そんなタイプだ。
前半できちっとやる人のことはうらやましいが、その人に”なぜやらない”と詰められそうだったらイヤになる。
(仮に神秘主義とは)
簡単に申しますと、意識の深層を開くことによって、主体、客体を含めた意味での存在の深層、存在の深みをギリギリのところで、つかまえるということであります。
生命、存在の意味というものは、意味を与える、という高次の存在がある、或は居る、という前提を掲げなければ、基本「生まれたから、あとは死ぬだけ」となるだろう。
無理やり「意味があると信じたい」という気持があるので、そんなものはむなしい、と決めるのが今の普通なのだろうが、
それでもなお、というところを”意識”というキイワードで潜って行きましょう、というのが神秘主義、といわれる構えであるのかもしれない。
どちらが”正しい”のか、という問いは立てられまい。
まあ、どちらが”気分か”というくらいの差異と、
なるのだろう。
(輪廻、というのも考えると面白いですね。思考実験として)
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