日記12月10日。 #日記
探していた本が、あった(オニオン、オニオン)。
いやあ、ほっとした。ジョークのようだが探していた本は、森博嗣氏の”アンチ整理術”。発見して通読した本にあったのは、氏も基本片づけないし、途中で放り出してすぐに再開できる状態が最もクリエイティブだ、ということ。まさにその通り。めちゃくちゃ同感だが、問題は借りた本なのにその本をわがグチャグチャの中で行方不明にしたこと。
なので、少しだけ改心して、少しだけ部屋を片付けた。
4年ほどまえに東京から戻った。その時にはなんでも事前準備ができない身、引っ越し当日になんでもかんでも放り込んだダンボールを4年間放置した。昨日見てみると、4年前は昨日のようだ。意識的に、頂いたものや、展示案内のはがき(結構な量ある!)などを処分した。頂いたものは、こうして一定期間置いてでないと、申し訳なくて捨てにくい。
版画活動は6年目くらいか。下書きやコピー、メモなどがどんどん発掘される。出会いは大切!と清水から飛び降りた(少しだけ高価な)版画類も下の方の地層から発掘(泣)。額装されたこれらを、裸にしてFILEに入れる。これでいつでも鑑賞&感嘆できる。気分がよくなってきた。
だからといって、今後整理できるとは思えない。だが、たまに宝を発掘できること、そして足の踏み場が、少しだけ広がったことは、なかなか整理のプラス要素かもしれない、と思った。
森氏の場合は、増えたものを置く場所を作るために何度も引っ越しをされている。そのためにも働き、稼ぐ。理にかなっている。私の場合は引っ越しはたぶん厳しいだろう。
狭い範囲で、基本やりかけをジワリ熟成させつつ、足の踏み場と机への通路!(部屋の中の本の間のこと)を確保する。
図書館でかりた、アンチ整理術の本をアンチ整理実践しすぎて紛失しかかっての、しかしアンチ整理大賛成であるところの私の、
結論とはたぶん、こんなところと、なるのだろう。
別の話。
老齢で、身よりがない受刑者が出所すると、再び刑務所に戻りたくなる、という。
若い時は自由を制限され、ネットも遮断され(たぶん)という環境に急におかれると娑婆に出たくなる。だが年をとって、制限された自由がいつしか自分の安心するムーブとなり、暑さ寒さシャワー事情にも慣れてしまえば、それは牢屋であれ戻りたくなるのも当たり前だ。外では仕事がない、偏見がある、食べ物や住まいがない。まったくどうしようもない。
どうしたらいいのか。もちろんそのような事情に同情し、協力する雇用主はいるだろう。だが多くはない。60歳を超え、身よりなく、体力もなければ。
生活保護、しかないのだろうか。再度コンビニ万引きで捕まり牢に戻る、そのこと以外ではそれしかないようにも、思う。だが保護を受けるしかない自分である、という思いは自己尊厳感を、毀損する。刑務所内での職業訓練が生かせる場が、あればいいのだが。
このあたり、本当に難しい問題だな、と感じる。
答えは、すぐにはでないだろう。だが哲学とはわからないことの下に線を引く行為であるという。
哲学かどうかはどうでもいいが、問題は、問題として、感じ考え続けなければ、ならないのだろう。
(若ければいい、というわけでもないでしょうし。本当に、難しいですね。。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。