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5月19日 不自由を常と思えば不足なし。

またまたかぜのたみさんのYOUTUBEから学んだ言葉。

徳川家康の言葉という。

なんというか、日々の暮らしで不足をかんじたり、パワーが出ないと思った時に思い出したい言葉である。でもなかなかできない。基本不満を思うのは、生きる為に安心しきらないように、というエゴ、DNAの要求するところなのかもしれない。

であれ”なぜ不自由と思うのか”ということにきちんと思いを馳せるべきなのかもしれない。

例えば最近の食生活で、顔に吹き出物が4-5個発生。普段食べないものや、なんちゃってグルテンフリーで過ごしてきたことが影響して、パンやら甘いものやらを食べることで体が反応している。

で、多分内臓脂肪も上がっている。このことをただ残念に思い焦るだけではもったいないのだ。

では日々、今、永遠で貴重なこの瞬間をどう生きるのか。

そうやって自身に向かい合うきっかけにしてもいい。

あと、右手に時計をするのだが、その付近に吹き出物が出る。皮膚科に行くと金属アレルギーの可能性が、とのこと。

時計好きで数を数えるのが怖いくらい(まあ安いものばかりですが)の時計を買ってきたが、時計がはめられなくなるのでは、という思いがずっとしていて、どんよりした気分になっていることに気づいた。

だが、ステロイドで治るし、チタンであれば、ラバーやシリコンであれば、あるいはNATOベルトであればましかもしれない。どんよりしているだけではなく、そういう対処法をいろいろ試してみようと思っている。

また、本当に金属アレルギーかどうかもわからない。今日は敢えてステンレスの時計をして様子をみている。

今朝の体重は64.4kgまで下がった。体脂肪はしかしながら10.6%位であった。
昨日は会社帰りに眼医者に寄った。眼医者のあとスポーツセンターに行こうと計画していたが、一度家に帰ってしまうと再度出かけるのが大変おっくうになり、結局行けなかった。

行けなかったことで、罪悪感のようなものが生まれたのだが、それを放置せずに見てみると、

義務感でいこうとしているが、今日は眼医者に行って目が悪くなるリスクが減っただけでも丸儲けではないか、と考えればいいのでは、と思った。

今までジムに行けていたのは、会社帰りであったこと、そしてトレーニングの結果に手ごたえがあったこと、の2つが大きいようだ。

一旦家に帰ると、改めて外出するのはけっこう精神力がいるものだ。買い物にしても、版画教室にしても、必要に迫られて、というきっかけが必要だ。

そういう意味では、昨日は休息の日と考えて、ゆっくりすればいい、という整理にした。

冒頭の家康の言葉、何かができない、というより、やらないことがデフォルトである、と思えば少し心が軽くなる、という感じで、ここに当てはめることもできるだろう。

日々の暮らしで、自身の心の動きをよく観察して、それに寄り添っていく、気をかけてあげる(人ではなく自身の心に)、ということが丁寧に生きる、ということであるような気がする。

これこそがソクラテスのいう、”魂の世話”の事であるかもしれない、とも思った。
(本当にすこしずつですが、部屋を片付けようとしています。とりあえず一歩を小さく踏み出す、という感じが大切なのかもですね)






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豆象屋
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