3月17日 上村松園画集を購入。だれのためでもない、まずは自らのために描いている。
昨日の夜のジムのあとの体重 64.7kg、体脂肪5%。
今朝の起きがけの体重 65.2kg、11.7%。
これですよ、この乱高下。倍以上に半日で変化する。
はたして絞っていいやら増量していいやら。。。
まあ、起きがけが実際の姿なのかもしれませんね、、なんとなく下っ腹が張っている気がするので。。
ということで、今朝は歩きながら「あごを引け、下っ腹を引っ込めろ」と唱えていた。
ただそれをやると前がよく見えないんですよね(笑)。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上村松園の画集を買った。コンパクトな新書サイズの新潮日本美術文庫、1996年初版発行、解説を昨年3月まで平塚市美術館の館長を19年間なさった草薙奈津子さんが書かれている。
解説を読むと、松園の人生に寄り添った大変わかりやすい文章であった。さすが学芸員を50年なさったご経験であると感服した(文章執筆当時でも山種美術館勤務に20年以上勤務されていると思う。私立?美術館である山種美術館では、学芸員解雇等でご苦労をされたということも知った)。
解説の冒頭には、松園が自らの画業への気概を述べた文章を置かれている。
私はたいてい女性の絵ばかり描いている。
しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願とするところのものである。
この文は、上村松園の著書であろうか、「青眉抄」から採られている。
おなじくP.78から引く。
松園は幼いころから人物を描くのが大好きであったという。後年「一生姉様遊びをしていたようなもの」と謙遜しているが、たしかに美人画一筋の生涯であった。
松園ほど純粋に一途に追及しているわけではないが、私も絵を描くときにただ美しいもの、自身にとって価値のあるものを描きたい、という気持がある。
そういう心が、多分どのアーチストにもある気がする。その対象が外見的には違っているだけであろう。
だれのためでもない、まずは自身のために描いている。
それがたまたま似た魂を持つ人々の目に触れる機会があれば、その人の「琴線」に微かに触れることもあるだろう。そういうことがあれば嬉しい。
だが人の琴線に触れることは、至難の業である。なので一心に、一途に、追及した人生となった。
上村松園、というひとの画業は、どうやらそんなものではないのだろうか、ということを、
この同じく「学芸員」という道を歩き続けられたであろう方の文章から、
知ることができた気がする。
(本との出会いも、一期一会ですね。。。「姉様遊び」とは、自らの魂を絵で磨き作り上げていく行為でもあったのだと思います)