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10月10日 ジョン・ロールズの第一原理。「三つ子の魂百まで」について思う事。2000年先の理想世界とは。

互いの自由が必ずしも干渉しないようなタイプの自由に関しては、互いの権利を侵害するようなことがない範囲で、すべての人に対して平等に保証されるべきである。
ジョン・ロールズの「第一原理」

玉手慎太郎 今を生きる思想 ジョン・ロールズ
誰もが「生きづらくない社会」へ P.80


今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ (講談社現代新書100)
今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ (講談社現代新書100)
作者:玉手慎太郎
講談社
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これである。

これが第一原理だ、というロールズさん(知り合いみたいな表現で(笑))はなかなかわかっているなあ、と思った。

自分に立ち返って考えても、集団社会に入る前、幼児期の小さな世界では基本好きなことをやって、ごはんを食べて、ととても楽しかったことを思い出す。

今思えば、「幸せな幼年期」を過ごさせてもらえたのだろう。両親に感謝である。

だがその時、「この環境は、”他人”が入ってくると崩れるなあ」と幼心に感じていたことも覚えている。

そう、他人=社会=邪魔してくる要素、というのが、もしかすると一番先に自ら得た認識だったかもしれない。

三つ子の魂百まで、という。至言である、と実感する。
3才の時に感じていた感覚は、いまもほぼ同じく自身の中にある。

ひとはその後、両親の庇護を離れ、自力で生きていかざるをえなくなる。
絶え間ない、社会からの「自由の侵犯」。
やりたくないことをやらないと「カネがもらえない」

そのことにどれだけ耐えられるかの勝負こそが人生だ。

まあ、基本そう感じて来た。

なんらかの「GIFT」(ギフテッド、てやつですか)があれば、あるいは「好きなことが仕事になる」かもしれない。

仕事をせえ、と日々の学校生活で無言で詰められるなかで、そういうことを感じてあがいた。が、どうやらわかりやすい「GIFT」、人から抜きんでてすぐに「生業(よすが)」となる能力は、無いようだ、と観念したのが大学卒業のころか。

いや、もっと前、大学入学のころだったろう。

あとは「いやいや」社会に順応する能力を高めるしかない。
そういうことで、やってきた。

そうではあるが、「社会」「会社」は油断がならない。もっというと「他人」は油断がならない。

なにしてくるかわからんで、といつも危機意識があった。

そう、つまりは冒頭のロールズの第一原理、それが理想だが保証されていない社会だ、というのが認識であった。

いろいろ言われるが、今のコンプライアンス社会、喫煙やサービス残業やパワハラやセクハラがない(しにくい)社会は、基本昔よりベターな社会であると思う。
酒も無理に飲まなくていい。
とてもいい。

自分が昔無理に飲まされたから後輩にも飲ましたれ。

そう思うのはいじめの連鎖だ。
勿論酒をのむと、相手の本性が感じられるし、こちらの本性もばれる。
硬い奴、と思われがちだが、中身はへろへろだということが酒をのむと伝わるので、

個人的には酒は一つの「生きる術」ではあった(その分メタクソ飲まねば、であるが)。

だが、その術を全員が行う必要はないわけだ。
その術を使うには、生与の「酒への耐用能力」が影響する。
まあ、男女差や体格差、といったような差異と同じくしょうがないものではあるだろうが、
生与のもので差が付くのは、今の時代「不公平」ということになっている。
という意味では不公平の一例になる案件だが、そもそもコロナやコンプラのなかで大きく縮小はしている。まあ、「おっさん界」では健在であろうが。

話がそれたがこまごましたそれらの「不自由」が意識されて排除される世界、それこそが考えられるなかで最善の世界であろう。

そのことをロールズは言っている。
一部の人に最高でも、一部の人には最低だ。

これが現在の社会。

理想社会はロールズのいうように、
全ての人がそこそこに満足、まあ、こういうことやね、と思っている世界。
そして先行きが心配でない世界。

そういう世界が、いいなあ。

(それを実現するためにどうしたらいいかをお互い考えあえる世界に、2000年位先にはなっているといいですね)




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