10月2日 教養とはなんだろうか。
昨日の体重62.8kg、体脂肪8.9%、今朝の体重63.1kg、体脂肪10.1%。
体重が久々に62キロ代に突入。筋肉が落ちないように、今日はまいばすけっとで鶏肉か豚肉を買わねばなるまい。
まあしかし、67キロくらいになると腹回りがぶよぶよする感じなので、62キロ代まで落とせば一応少しは安心する。
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我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている。
精神の危機 他15篇 (岩波文庫)
精神の危機 他15篇 (岩波文庫)
作者:ポール・ヴァレリー,恒川 邦夫
岩波書店
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ポール・ヴァレリー 精神の危機 より
年をとると、子供のころとても昔だと思っていたことが、案外近いのだ、という感覚を持つ。
これは自身の生きてきた例えば20年、30年を思い出してその刹那さを実感すれば、例えば自身の生まれた20年、30年、100年前がより身近に感じられる、ということだろう。
例えば紀元前というと、もうほとんど原始時代と同じイメージでいたし、実際日本では大差なかったのかもしれないが、ギリシャ、ソクラテスやらプラトンやらというと、その著作を通読することさえ困難な膨大な著作群が残されているわけだ。
そしてその内容。古臭いなどとはとんでもない。むしろ今よりよほど進歩した精神をその中に見いだすことになる。
人間の内面は果たして進化するものかは。
という気持になる。もちろんテクノロジーによってできることは増えた。だができることは広がりではあっても深みではない。
引用したヴァレリーも、プロイセンとフランスの戦争の影響濃い時代に生まれ、その後もドイツに翻弄される時代に生きた。
その文をみても、その時代、ひりひりして生きるか死ぬかの時代であればこその真剣かつ真摯な沈潜にて、ひとびとは文化文明書物にその解をもとめていたのを感じる。
ヨーロッパという精神の沈積からくる深みも感じる。
だが、そうしたものが戦争となり虐殺となり。
なぜなのか、ということ、その心と精神の叫びはあるいは現代よりもまったく悲痛であったのでは、と思うのだ。
いろいろあるが、現代は比較的(あくまで比較的ですが)おだやかに過ぎて来た。結果として。
だが戦争紛争は再びおおく勃発する。
ヴァレリーがいうように、”滅びる運命にある”と言い切るレベルではないにしろ。
文明というものがなんなのか、というと、実はこれはよくわからない。
わからないが、自己の精神、生きていく上で重要なものだと感じる。
嘲笑をもって”教養ってなんですのん”という向きもあろうが、私は個人的には自身の文化文明を(それがどのようなものにしろ)大切にしたいと思う。
それはより個人的な”年輪”のようなものだ。
”ビジネスに役立つ”教養、などといわれれば確かにあほらしすぎて嫌になるのはわかるのだが、
だがそうした”教養”を魂の滋養として自身の中で年輪的に”自己の文明”を構築していくのであれば。
教養、というものは、個人的なものとしては大変に重要なものであろう、と
思っている。
(人から与えられる、とおもうから”教養”が嫌いになるんですよね。好きなことを自ら探し得てゆけば、教養って素晴らしい、とは思うのですが。。。だが実行は難しい。。。)