12月30日(木)#日記 ゲシュタルトの祈り。
精神科医フレデリック・パールズとその妻が提唱したというゲシュタルト療法で使われる「ゲシュタルトの祈り」というものを知った。以下WIKIPEDIAからの引用。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
ゲシュタルト療法(ゲシュタルトりょうほう、gestalt therapy)は、ユダヤ人の精神科医、フレデリック・パールズ(フリッツ・パールズ)とその妻のローラにより、ゲシュタルト心理学、実存主義思想などを手がかりにはじめられたものである。"Ego, Hunger & Aggression -- A Revision of Freud's Theory and Method"(1942)が、その基本を述べた最初の著作とされ、1951年には"Gestalt Therapy -- Excitement and Growth in the Human Personality"が出版されている。彼は、その後日本にもやってきて、京都の大徳寺で禅の修業もしている。「ゲシュタルト」(Gestalt)は、ドイツ語で「かたち」「形象」をいう言葉。直接は「ゲシュタルト心理学」から由来した言葉と思われるが、その意味づけは参禅体験などと深くつながっている。彼の考え方には、エーリヒ・フロムや鈴木大拙などの影響も色濃く見られる。東洋的な瞑想や精神統一の体験を基盤に取り込んだという点では、ユージン・ジェンドリンのフォーカシングと似ている。セラピーの姿勢としては、カール・ロジャーズの来談者中心療法などと一緒に人間性心理学(アブラハム・マズローの流れ)の中に分類されている。
WIKIPEDIAより。
浅学ゆえ、ゲシュタルト、という語がドイツ語で形や形象を表す、ということを知らなかった(大学では第2外国語はフランス語を選択、テストで0点を取得。。)。語感としてのドイツ語はなんだかおどろおどろしい感じで、逆にそれがなんとなくその語を聞くだけで深遠な内容を含んでいる感触を受ける(個人的感想です)。
ゲシュタルト崩壊、なんていう言葉は聞いたことがあったのだが、何のことかわかっていなかった。外国語であるがゆえに、そして縁がない言葉であるがゆえに、意味にアクセスできないことがある。
まあ、そのことはおいておいても、この祈りはなかなか印象的である。なにより自分を見つめ直したり、立て直す力を持つ語であるように感じる。
フロムや大拙とも通じる、というが、自身が中心である、自身が世界である、という感覚とも近しいように思う。こういう表現は難しいが、誇大妄想的ではなく、自尊心高すぎ、ということとも離れての意味であるが。有よりは無、有の対象ではない無、というか。
この語が精神的な療養で使われるということは、この語に含まれる考え方の持つ自己回復性、いわば癒し効果の所為もあると感じている。
(気に入ったので、ノートに書き写しました)
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