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9月12日 種村季弘と澁澤龍彦、そして矢川澄子。「アリスはまさしく わたし自身に 他ならなかった。。」

この本、欲しいなあ。。
種村季弘氏が亡くなって、早20年ということで、各所で記念展や書籍発行が続いている。
私は版画制作追い込みでなかなか行けてないが、愉しいところだ。

種村季弘・異端断片集 綺想の美術廻廊

芸術新聞社

多分多くのこの傾向が好きな方は同意いただける気がするが、私の中でも種村季弘氏と澁澤龍彦氏は、なんとなく1号ライダー、2号ライダー、という感覚がある(苦笑)。

種村 季弘(たねむら すえひろ、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)8月29日)71歳没。
澁澤 龍彥 (しぶさわ たつひこ、1928年〈昭和3年〉5月8日 - 1987年〈昭和62年〉8月5日)59歳没。
学生時代神田の古書店街でダダイスムやシュルレアリスム関係の仏語の原書を渉猟し、アンドレ・ブルトンやジャン・コクトーに熱中した。

WIKIPEDIAより引用。

澁澤は仏文で種村は独文だったのか。

私の感触では、フランスではギュスターブ・モローを思い出すまでもなく絵画が出色、ドイツはドイツロマン派などを思い出すとおり観念的でかつ神秘主義的な感触も魅力的な文化である。
個人的には基本私は外国文学というよりは、漫画と幻想文学全般(翻訳もの)に熱中した口だ。
だがフランスはいきたしとおもえどもあまりに遠く状態で、ドイツは、うーん、なんというか魅惑的だが遠い異国、という印象がある。どちらかというとそう、「アリス」の英国文化、妖精文学へのあこがれが強いだろうか。

海外の文化の導入黎明期であれば、最新の情報はそれぞれの国の言葉がないと接することができないだろうが、翻訳が潤沢にあれば、あえて外国語を学ぼうというモチベーションは生まれない。私は荒俣宏氏によって、多くの珠玉のファンタジーに出会うことができたのだ。

矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 2002年5月29日)は、日本の作家・詩人・翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。
71歳没。
WIKIPEDIAより。

澁澤といえば、1959年から1968年まで9年間結婚していた矢川澄子のことも思い出す。いろいろなところで出会っていた作家であるが、澁澤の夫人であったことは比較的時間が経ってから知った。
私には縁の深い、新潮文庫版アリスの翻訳でも思い出す。

不思議の国のアリス (新潮文庫)



こちら金子國義挿絵版は、日本のアリス絵としては世界に誇れるものだと思っている。
私が神保町交差点すぐのひと棚本屋パサージュソリダさんでは、出来るだけ品切れにならないように、と思って置いている(実際に何冊もお買い求めいただいている)。

矢川の経歴と澁澤との出会いなどを以下WIKIPEDIAから引く。
1948年、同校を5年で卒業し、旧制の東京女子大学外国語科(後の英文科、当時は3年制)に入学、1951年に卒業[2]。岩波書店の社外校正者を経て、1953年9月、新制学習院大学英文科3年に後期から編入学するも、まもなく独文科に転じ、関泰祐教授に師事。1954年、同人誌「未定」に参加。1955年3月、学習院大学独文学科卒業。同年4月、東京大学文学部美学美術史学科に学士入学したが1958年に中退。この間、1955年4月、岩波書店校正室のアルバイトで知り合った澁澤龍彦と交際を始める。澁澤の初対面の印象を矢川は「なんと鼻の高い色白の美少年が入ってきた」と語っている[3]。矢川の最初の男性となったのも澁澤であった[4]。当時、3年余りにわたって澁澤から送られた手紙を矢川は晩年も大事に保存していたが、公表はされていない[3]

澁澤のことを、「なんと鼻の高い色白の美少年」と評しているが、矢口が岩波の校正を行っているのは1951年から53年であるので、矢口21歳から23歳、澁澤は2歳年上なので、23歳から25歳であろうか。
年上の澁澤、23歳の青年を「美少年」と称するところ、若いころの澁澤の姿を思い浮かべたくなるところである。



おにいちゃん 回想の澁澤龍彦 矢川澄子著より 1965 コイコイをする澁澤と矢川

おにいちゃん―回想の澁澤龍彦
作者:矢川 澄子
筑摩書房


2002年7月30日の松岡正剛「千夜千冊」591夜で、矢川の「反少女の灰皿」を取り上げている。
矢川さんが亡くなった。どうやら自死を選んだらしい。理由はわからないが、矢川さんは別れの好きな人だったから、自分にも別れる気になったのだろう。
 澁澤龍彦と別れ、アリスと別れ、都会と別れ、そして存在するものすべてと別れる。いっさいの想像力とも別れたのである。その逆の見方もできる。つねに自分が愛したものを永遠にしておきたかったのだろう、と。少女としての矢川澄子を見ているころから、そういうことをしかねない人だと見えた。

山口小夜子が、「あのね、少女はみだりに笑わないのね、それが本当の少女」と言った。ふうん、そうか、と思いつつも、あるとき手形の裏書でも頼むかのように萩尾望都にそのことを聞いたら、まだそんなことがわからないのかと叱正されるがごとく、「あら、そうよ。当然でしょ」と切って捨てられた。しかし、このことは矢川澄子にも尋ねるべきことだった。

そういえば、シュペルヴィエルのこんな話を紹介していたことがありましたね。思い出します。「はるかな沖合の波間にうかぶ無人の村。その幻の村で、少女はいまもなお生きている。ひとりぼっちで、おさらいをしたり、手紙を海になげこんでみたり。少女はいつまでも十二歳のまま、老いることも、いまさら死ぬこともできない。なぜならとうに死んでしまっているのだから――」。

以上、松岡正剛 千夜千冊 591夜 矢川澄子 反少女の灰皿 より

松岡正剛氏は、実際に矢川と会食をして、評する本の贈呈も受けている。贈呈を受けていたがすでにその本を持っていて、「黒棚に飾っていた。」。



「父の娘」たち (平凡社ライブラリー)
作者:矢川 澄子
平凡社



松岡正剛氏の評を読んで、当然の如く出てくる名前にすこしくひるんだ。
そう、山口小夜子。萩尾望都。そして矢川澄子。

私の中で、アリスと同根(同類、とはなんか違うが)の存在を、こうも無造作に並べられるとは。
希代の編集者と呼ばれた松岡正剛氏、慧眼すぎてすこし怖いくらいだ。

種村季弘から始まって、話がずれにずれた。
だがこうした連想をくださる先達の皆さんに、感謝、である。

(たのしい連想でした。。矢川の「反少女の灰皿」、帯の「アリスはまさしく わたし自身に 他ならなかった。。」。。迫力の文言ですね。まさしく矢川にしかかけない言葉かも。。)

ジュール・シュペルヴィエル「沖の小娘」(堀口大学訳)→購入してしまいました(笑))



お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。