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日記6月9日 河合隼雄とユング。
岩波現代文庫 「ユング心理学と仏教」 河合隼雄著 を読んでいる。
P.58に、ユング派とは何か、ということで、河合さんが考える定義がこのように書かれている。
私はユング派であるということは、C・G・ユングがかつて行ったように、自分の無意識から産出されていく内容を慎重かつ良心的に観察し、それを基にして自分の生き方を決定し、個性化の道を歩もうとする、そして、そのために必要な基礎的方法や知識を身につけている者、と考えています。
河合さんは別の本で、すべての人の人生はすべて唯一のいわば芸術作品である、というようなこともおっしゃっている。
そう、私のこの人生は、唯一のものである。
だが、そのことは実は普段はあまり意識されないし、意識していい、という感じも実はあまりない。
なぜだろうか。
これは多分日本、という地域の意識の中に普段生活しているからではないか。
そして当然ながら、自身をその中で最適、とは言えないにしろ「なんとか適応できる具体的な技」をもった存在とすべく、いままでやってきた、という感じがする。
なんというか、子供のころ私が思っていたのは、
「この自分の生まれ持ってのSPECは、そのままでこの日本という空間でやっていくには、余りぴったりではないなあ」
ということであった。これはなんというか、日々感じていた。
私は、人におどされるとすぐビクビクして、怖くて逃げて隠れているような子供であった。
体力的というよりは、精神的に弱い。
そのことを、両親が心配していることも感じていた。
アンタ、やっていけるんかいな。
そう心配しているだろう、ああ、申し訳ないなあ、という感じもあった。
つまりは、自分の生来のSPEC以外の、本当は別にやりたくないような能力も、意識して後天的に得ていかねばならないなあ、という気持ちが育っていったのだ。
いつもここで書いているが、まず私は運動神経は0である。0ではあるが、自己評価として、力があるし、身体は平均よりはでかい(今はまあ普通ですが)、という感じも持っていた。
精神的には大変に弱いが、そういう意味では精神面で、自分なりにできるだけ強くならなければ、ということを思っていた。
そのために、自身の中の資質で、世間に、一部の世間でもいいけれど、認められる要素がなんであるか、それをつかんでそれを伸ばさなければならない。
そう思っていた。
でもそれは、非常に嫌で嫌でしょうがないものでは、続けられないだろう。すこしでも興味が持てるもの、一番いいのは、興味があることを伸ばせればいい。
まずは、いじられたりいじめられないためにはどうするか。
自分なりに舐められないようにするしかない。
そう思っていた。
電車通学で、制服で、制服の加工が厳しく禁止されていたので、見た目はダサい。とにかく残念である。
そこで採用したのが、「睨み」だ。舐められないように、目線を厳しく(笑)するわけだ。
三白眼気味なので、自分でも「これは不気味やなあ」と感じられる目線を自分なりに工夫して練り上げていった((笑))→当時は大真面目。。
そして身体。ものすごくでかいわけではない、普通に毛が生えた程度の身長であるので、とにかく鍛えてデブらないようにしなければならない。
そう思っていた。
ほっておくと「ぷよぷよした肥満体に変わりうる傾向のある肉体だ」と自身の体を認識していたのだ。
中学校2-3年の間は、今だと失笑される「パワーリスト」と「パワーアンクル」を装着していた。特に効果は感じられなかったが。。
まあ、お守りのようなものかもしれない。
そんなこんなで、なんとか通学は過ごしていたが、あとは人間関係である。
見た目で一瞬堅物に見えるようなので、ひたすら「マンガばかり読み続ける奴」で通した。まあ、本も読みまくっていたが。おかげで、男子中心の学内では、国語系の点だけは良かった。
数学は壊滅的に分からない。とにかく考えていると「頭が涌く」感じがする。叫びだしたくなる。わからな過ぎて。自分には無理だ、ということばかり感じるのだ。
だがなんとか最低限の点は取れるように努力した。この点はいまでも自分なりにかなり努力したと感じている。この点だけは自分をほめてやりたい。よく嫌でたまらん算数がんばったな。
話がずれてしまった気がするが、これが日本で学生時代をすごし、卒業して仕事に向かう時に必要であろう、と自身で感じた処方箋である。
とにかく、集団の中でなんとか居場所を見つける。それこそが求め荒れていることだ、と理解してきて、そしてそれは今でも正解だと、思っている。
だが、日本のそういう「ベタベタした感じ」は本来あまり好きではないようだ。だがそこを飛び出して、例えば留学しよう、というような気もちは一ミリも出てこなかった。出てこなかったのが自身の生与の性格であろう、と思っている。
なので、いままでの人生で自分、というものをとことん追求してきていない。とことん追求することはこの日本でのサラリーマン生活では不要だ、と感じていたのであり、それはある程度までは真実であった。
だが、
自分の人生を一つの唯一無二の作品である、と思うのであれば。
このまま自己をとことん見つめることなく過ごすのは、なんとも残念である、という感じがある。
本当にやりたいことは無いのか。
そんな気持ちを川合隼雄さんは「中年の危機」とおっしゃる。
ある程度の年齢になると多くの人がぶち当たる苦難なのであろう。
そう言う意味では、数年前に始めた「本当にやりたいことのひとつ」である「銅版画制作」、これをスタートできたことは私の人生にとって本当に良かったと思っている。
絵が人に評価されようとされまいと。別にそれを売って生活するわけではないのだ。
だが、いままでの制作で、私の作品を購入してくださった方が何名かいる。付き合いではなく、「気に入って」買っていただいたこと、これは本当に嬉しい経験であった。その幸福感は何年も続いた。いまだに続いている、ともいえる。
購入していただくと、すこし「人に媚びる」要素が入るかもしれないので、その点は気を付けている。あくまで「自分が描きたいように」,描いている。言い訳しなくてもいいのが、とても自由で気もちがいい。
私の目標である、「絵」は現在進行で追及できているので、次は「自分自身を見つめること」自分の本質はなにか、ということを追及すること、そのことをぼちぼちやっていきたいな、と思っているところだ。
(いろいろ試行錯誤を開始しようかと思っています)
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