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mamezouya
日記4月4日 魂の自由について。
魂は積極的な内的生活を体験しているときにのみ自由なのであり、そのときにのみ、確かな内的な支えを持っているのです。魂は自己意識的になり、そして活動しつつ体験できる状態にあるときにのみ、自分が正しい人生を送っている、と実感できますし、自分の立場が納得できるのです。
P.35 シュタイナーの死者の書 アドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳、ちくま文庫 2006
魂の内的生活とはなんだろうか。楽しいことを受け身で行っているときに、私は幸せを感じているようであるが、ただ完全な受け身であればそれはすこし時間がもったいないかも、と思う部分もある。
だが、そうではない思いもある。
全てのエンターテイメント(それは体験として、2次創作物のみならず、一次感受物(=自身の感覚で感じること)も含み)はそれがあたかも地中に入れられる滋養のような感じで、結果として育ってゆく「私」という一本の植物のためになるし、「私」という植物は「生」という花を人生で咲かせる。
その「花」をできるだけ美しくしてゆきたい、と思うのだ。
なので、「無駄」と感じれば、やめればいい。インプットばかりでアウトプットしないと、これは種のない地中のようなもので、滋養が過ぎると腐ることもあるだろう。
なので、「アウトプット」(それは目に見えるものばかりではないだろうし、他人に対するものでは究極ない。あくまで「花」を愛で楽しむのは「自分」であるだろう)は非常に重要で、いつも意識してゆくべきであろう。
全ては「魂の内的活動」につながる。そのことを意識して、活発に活動を行うことの重要性を、冒頭で引用したシュタイナーは改めて語っている。
これは当たり前のようで、実は忘れがちなこと、だからだろう。
(私もつい忘れていました)
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