4月17日 花粉症ひろい。小澤征爾さんと村上春樹さんの会談本読了、合わせて図書館で朝日新聞2月11日の村上さんの小澤さんとの思いでを書かれた記事をCOPYしたりした。
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今朝の体重64.7kg。体脂肪は12%。体重は先週の67キロ近くから落ちてきた。まあ別に減らそうと思っていたわけではないので、普段の食生活だとじわり痩せてゆく、ということなのだろうか。
昨日は歩いて京橋の展示を拝見し、その足で皇居まわりの松林で小澤征爾さんと村上春樹さんの2010年ころの対談本を1時間半ばかり読んだ。13646歩あるけたのが、良かったかもしれない。その結果、今日の花粉症はひどくなったが。
小澤さんは2月6日に88歳で亡くなり、2月11日に朝日新聞に村上さんが小澤さんとの思い出をかいた文章を寄稿されていたことは知っていた。今はここ東京では新聞を取っていないので、朝日新聞記事もすぐには読めなかったが、図書館にこの本があることを知って借りたのだ。2週間の貸出期間であるが、当然次の予約者がいらっしゃったので、2週間以内に読まねばならなかったからだ。
通勤に電車を使っていたころや、昼にエルゴメーター(自転車)を漕いでいたことは、毎日すこしずつながら本を読むことができていた。本は読みだすことが肝心で、すこし読んで面白かったら時間を見つけて続きを読もう、という気になってくる。
だがいまは歩き通勤で、昼も皇居東御苑まで歩くことにしているので、自動的?に本に接するのが結構難しい。勢い折角図書館で借りても、読まずに返す(1回延長できるので3週間はだいたい借りれるが)ということも多い。
だが期限に遅れなければ、予約が無いとその場で再び借りることができるので、読み通せない哲学系の本などはそういう方式でやってはいる(でも結局読めなかったりしますが)。
ではそこまで延長しているのなら買えばいいやん、となって買うのだが、そうなるともう読まなくなる。
買って安心、いつでも読める、となるのである(だいたい)。
追い込む、場所を替えれば読める。そういう意味ではマクドへ行ったり、電車移動や飛行機移動の時は結構読める。本が読めそう、と思っても、東京名古屋1.4時間位だと、インスタやってると一瞬で時間移動(時間が溶けるともいう)という事も多い。できれば東京―大阪位がいい。
村上春樹さんの文章は、ご自身が小澤さんとの会談でおっしゃっているとおり、リズムがいい。人にもよるだろうが、私にとってはどんどん読み進むことができる文章だ。たぶん結構な皆さんが同じように感じてらっしゃるのではないかと思われ、それが村上さん人気の一因だろう(もちろんするする読まされた内容が面白い、ということが一番だが)。
村上さんは、ご自身が翻訳もされるので、英語に訳された自作には目を通されていると思う。多分、外国語(英語)になっても、日本語で得られるリズムと同じように、無意識にリズムを気にされていると思う。
2月11日の読売新聞から引く(本返却ついでに、過去新聞の閲覧を申し込んでその部分をCOPYしました)。
作家が文体を真摯に追及すればするほど、文体自身が消えていって見えなくなり、あとには物語だけが残るーそういうことが、小説の世界にはある。征爾さんの晩年の演奏は、あるいはそういう熟練の境地に達していたのではないだろうか。
朝日新聞2月11日 村上春樹寄稿文より
文章と音楽、どちらも自身にとって一番すばらしいと思われるものを、全身全霊で追求し作り上げてゆく、という行為の結果生まれるものだ。そういうものであれば、それは人の琴線に到達でき、触れることができるのである。
毎朝4時に起きて数時間執筆される村上さん、同じく早朝に起きて譜面を読み込む小澤さん。こういう二人が出会って、話が弾んだ、ということは稀有のことだろうし、普段の生活でそういうひとに会えないであろう二人にとって、会話がとにかく楽しくなったことはある意味当たり前のことだったのかもしれない。
年齢差が15歳程度あったようだが、それは多分本質的には関係がないのだ。魂同士にとってみれば。
(うらやましい、という感じもしますね)