12.19 運動や趣味は日々の生活に取り入れるべき。

一夜漬け派、であった。

まあ、勉強が基本好きではない、というのがあっただろう。高校時代の試験勉強スタイルを思い出すと、とにかく数学ははなから放棄(やけくそで答えだけ暗記)、暗記系の歴史や理科(科学や生物)は、まあすこしだけサブノートなどを作り(書くことですこし覚える)、英語は単語暗記、という感じであった。とにかく好きではないものの暗記は難しく、地理はそもそも選択せず。基本受験科目だけ覚えろ、という私立であったが、ある意味ありがたい面もあった。

国語系があるのは助かった。勉強は漢字ドリルくらい。漢字は読めるが書けなかったのだ。古典漢文は訳を読み込んでおわり。

ということで、嫌いな数学系は、一夜漬けも無理で「夜明け漬け」。夜にやろとするとマンガを読んでしまうので、明け方に起きて焦りで数時間だけやった。

もちろんすべて惨敗。「やれるだけはやった」という感覚を得るためだけに時間を使っていたといえるだろう。

まあ、しかしそうでしか在れなかった、という感じがある。できるだけ頑張ったな、と当時の自分をほめたいくらいだ。聞くところによると母方の祖父は数学嫌いであったという。遺伝だ遺伝。ということにしてある。

だが、その経験から、「自分は不真面目だ」「努力が苦手だ」「暗記力がない」という自己評価もある。「きちんと取り組めない」そして「集中力がない」。

だが今週の勝間和代さんのメルマガを読んでいると、自己の資源を一点集中で注ぐことは生きる上でリスクがあり、むしろ分散して全体把握すべきである。というメッセージがあった。こちら、大変共感し、勉強になった。

集中、というのは、危機的な状況の中、本来は広く浅くアンテナを立て、予想外の新たな危機を合わせて感知するためのリソースをすべて一つに突っ込むことだ、という視点がまずは私には斬新であった。

勉強は集中しろ、ながらはいかん。

確かに集中して得たものは、記憶に長くとどまる気もする。だが無理やり記憶したしんどさもまた同時に残るものだ。

こんな勉強法、受験に通ったら二度とやるか!

そう思っていた。とにかく疲れたのだ。


生活が変わると、日々のルーティンが変わる。特にこの数年はコロナもあり、日々の生活パターンが結構固定していた。それまでは出張やら飲み会やらでパターンの固定は困難であった。

東京に単身でやってきて、新しい場所で新しい仕事をする。もちろんルーティンは変わらざるを得ない。10月から2か月が過ぎた。すこしずつだが、ルーティンを構築しようとしている。

まずは運動。名古屋では昼に1時間運動できていた。エアロバイク20分、懸垂計40回。足上げ3種各10回。自重ディップ。
週に2回は市営トレーニングセンターで各1.2時間。一日歩き目標1万歩。

今は昼はこうした設備がない。休み時間も45分だ。そこで皇居を40分弱速足で歩く。これで4000歩稼げる。片道通勤での歩きが1700歩くらいなので、合計7400歩。1万歩までの差はどこかに行って稼ぐしかない。

週2回やりたいトレーニングはなんだかんだで1回が多い。だが不可能ではないだろう。幸い市営トレーニングセンターがなんと徒歩3分のところにある。これはありがたい。設備もまあまあである。

とりあえずは、週1回のトレーニングで筋肉維持はできる。アップは困難だが。

懸垂が不足しているが、この辺りは今後検討してゆくことにしよう。

こうして日々の生活に織り込むことで、継続して鍛えることができる。

時間があったら運動しよう、では絶対に無理である。

(創作も、1日のどこの時間をそれに充てるかを決めないと厳しいですね)











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