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作業療法と、私の出会い

バブル経済の終焉目前、私はOTS(作業療法を学ぶ学生)だった。

OT(作業療法)が今より一般的でなかった当時。どのようにして、私はOTを知り得たのか?今回はこのことについて書く。

私が小学4年生の頃。30代半ばの母に、病気が発覚。以後、数年にわたり検査と手術のため、母は入退院を繰り返した。何回目かの手術後、母はPT(理学療法)を受けることになった。再度、歩けるようにはなりたいものの。手芸好き、運動嫌いの母は、PTの時間が大嫌いだった。

母によると。

イヤイヤながらも、PT室通いに慣れた頃、気がついた。自分が筋トレ、歩行練習に汗を流す傍。同敷地にガラス張りの小部屋があり、どうもそこでも「リハビリ」が行われていることに。母はPTの合間、その小部屋を観察するようになった。そこでは手芸や調理、ゲームなんかを患者が行なっており、母の目には、「楽しそう」と映った。ある日、母は思い立ち、担当の理学療法士に直談判を試みた。自分は運動が苦手なので、あちらのリハビリにかわりたいです。手芸とかしながらよくなりたいです、などと言ってみた、らしい。

理学療法士の答えは、「あれは作業療法と言って、手、頭、生活のリハビリを専門にするリハビリです。歩行練習や足のトレーニングはしないんです」

母は、ここで初めて「作業療法」という言葉に、遭遇した。そして、この回答をもって、自分の主張が的外れと判断。理学療法の継続を改めてお願いしたそう。

母は病室を訪れた私に、この話をした。話の結びを、今でもはっきり覚えている。

「すごくない?作業療法って。遊んどって治って。一緒に遊んどるだけなのに作業療法士ってお金がもらえるんだよ〜。あんたもやったら?遊んどってお金がもらえるなんていいがね〜」

私は、「そんなバカな」と思いつつ。その後、母について理学療法室へ行き、やはり母と同じように、そこから作業療法室を眺めてみた。

「本当に遊んどるわ。病院の中なのに楽しそうにしとるな、みんな」と思った。


こうして思春期の私の脳裏に「作業療法=遊ぶ、なんか楽しそう」が刻まれた。以上が作業療法と、私の出会いである。



写真;友人が「うちの職場の朝日、綺麗だろー」と送ってくれた。美しい〜!



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