ソウルメイト
豆と小鳥はなしの止まり木の#10は
髪結いの亭主じんちゃんの最終章をお届けさせていただきます。
いつものように
作:ナミン
朗読とサムネ:バクです。
youtubeには『はなしの止まり木』の再生リストを作っています。
眠れない夜のお供にいかがでしょうか?
ポッドキャストとyoutubeはこちらからどーぞ!
じんちゃんは今夜も店の横を流れる川の音をBGMに、
1日よく働いてくれたあかねの少し丸味を帯びた小さな背中を
ゆっくり丁寧にマッサージしていた。
こうして穏やかな時間を共に過ごすことができている奇跡がしみじみありがたく、天使ラファエルと菅原仁平さんにココロから感謝した。
じんちゃんには誰にも話していない過去がある。
何があっても絶対に、明かすことができない秘密があるのだ。
20年前、あかねの前の夫、腹話術師のたけしは、無念極まりなかった。
最愛の年若い新妻あかねを置いて呆気なく天に昇ってしまったことが
くやしくて悲しくてたまらなかった。さらに2人の愛の結晶、まなみが誕生したのに抱いてやることも叶わない。思い残しが多すぎて成仏できるわけもなくあの世とこの世を行ったり来たりして悶々と過ごしていた。
死後、たけしの担当のガイドとなった天使ラファエルは、当初はそのうち
たけしは諦めて成仏してくれるだろうとたかをくくっていたが、たけしの全く褪せない強い愛に感動すると共に少しずつ情にほだされていき、あの世とこの世を一緒に行ったり来たりしていた。
あの夜も、たけしはあかねのうちの周りをあてもなく浮遊していた。
3月だと言うのに冷たい雨の降る夜だった。
あかねの店のすぐそばを流れる川の土手にひとりの中年男性が倒れているのにたけしは気がついた。
冷たい水の中にその男性は体を半分沈めていた。
天使のラファエルは静かに答えた。
「この人の人生は今回はこれで順調にフィニッシュだ。大丈夫だ。
この人はちゃんとあの世へ行ける。」
「そうか・・・」たけしは目の前で今まさに天に昇ろうとする
その人に向かって「どうか心残りがないように」と祈った。
その時、ラファエルが驚くべき言葉を耳元で囁いた。
「今なら、彼の肉体を借りて再生できるよ」
「え?」
たけしは何を言われているのか分からなかった。
「この世に戻ってくることができるのか・・・」
迷った。迷ったが、頭より口の方が早くこう答えていた。
「お願いします!よろしくです!」と答えた。
ラファエルはウィンクして羽を大きく何回かパタパタパタさせた。
気が付くとたけしは河原に立っていた。びしょ濡れでカラダが震えた。
上着のポケットにはいくばくかの現金とクレジットカード、
運転免許証が入っていた。
菅原仁平、すがはらじんぺいと記されていた。
生年月日は1975年3月4日。それはとても不思議な感覚だった。
人の肉体にウォークインできた喜びと共に、
仁平さんの魂が今、苦しみから解放され安らかであることを
祈った。
そして、ラファエルに感謝をし、仁平さんの肉体が無駄にならないように
大切に生きることを誓った。
もともと土地勘のある場所なのでどこに何があるかはわかる。
たけしはまず、馴染みのドン・キホーテに行った。
仁平さんのお財布から現金を使わせてもらい、下着や当座の洋服、
洗面用具などを買った。蛍光灯の明るさが眩しく新鮮だった。
20年近く年月がたっていても柿の種もルマンドも健存なのがうれしくて思わず買い物カゴに入れた。そして銭湯で冷え切ったカラダをあたためた。
湯舟でふぅ-と息を吐き、感覚があるということのは、こんなに気持ちいいことなんだと、たけしは生まれ変わって改めて感じた。
コンビニでビールとお弁当を買い、おいしさを味わう喜びに震えながらビジネスホテルでスポーツニュースを見ながら夜を過ごした。
何事にも用意周到に臨むたけしは、
翌日から仁平さんの肉体になじむために隣町に移動し、
日雇いの仕事を始め社会生活に復帰した。肉体を再び持てたたけしには労働の疲労さえも新鮮で常に上機嫌だった。
なので、仕事先では「生き仏の仁さん」と呼ばれ人望を得た。
あの世にいた20年足らずの間に日本は著しく変貌を遂げていた。スマホと言うものを初めて触り、インターネットを初めて使い、コンビニで電子決済できるようになるのに半年を要した。
約20年間のブランクを埋めるために、仕事のない時間は図書館にある新聞でノートを取りながら、世の中の流れを把握し、直木賞と芥川賞を取った作品は全て読破した。
仁平さんの魂はないもののカラダに彼の癖は残っていた。
エスカレーターではついつい右に立ってしまうので、
きっと仁平さんは関西の出身だったのだろう。
そんな癖の数々を経験しながら、たけしは仁平さんへの親近感を増していくのだった。
そして、まだ暑さの残る9月のある夕方、
たけしはあかねの美容室を訪ねた。
20年ぶりに再会したあかねの美しさは一向に衰えておらず、かえって色気を増していて胸の鼓動が高まった。あかねに髪の毛を洗ってもらい散髪してもらいながら涙が出そうになったが、そこはグッと堪えた。あかねはあかねで初めて会ったはずのじんぺいに不思議な居心地の良さを感じてくれたようで晩御飯を一緒に食べようと誘ってくれた。
その夜からじんぺいはあかねと暮らし、もうすぐ2年が立とうとしている。
できるだけあかねの側にいたいし、できるだけ社会露出度を下げるためにたけしは家事全般を受け持つヒモとして生活している。元々、料理をするのは好きだし、家事も全く苦にならないので今のライフスタイルはフィットしている。
時々、東京から帰省するまなみともすっかり仲良くなれている。
まなみの中に自分に似ているところを見つけるとDNAが継承されていることを実感でき、愛しさが増す。初対面の時は怪訝な様子だったまなみも
少しずつココロを開いてくれ、あかねには話せない仕事の愚痴や彼との悩み事も話してくれるようになった。
あかねは今夜も晩御飯を食べた後に、じんちゃんにマッサージをしてもらいながら、それにしてもじんちゃんとたけしさんが作るだし巻き卵の味はどうして全く同じ味なのか、洗濯ものたたみ方や繰り返し見る好きな映画も同じなんだよね~と、川のせせらぎを聴きながらウトウトしていた。