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夜の色味|日々の雑記#30

いい大人ですから心も内臓も汚れています。

大人になれば迷いの霧は晴れ、面白おかしく暮らせると踏んでいました。けれど悩みは尽きず苦労は絶えません。

いくつになっても夜は苦く、すれ違った人とは分かり合えぬまま時間ばかり過ぎていきます。何なら肉体的な衰えを感じるお年頃。ハードモードの先にベリーハードがあるなんて取説には書いてありませんでした。唯一の救いは集中力が失われ、悩む時間が細切れになったことぐらいでしょうか。

「大人になると挑戦をしなくなる」、そんな話を聞きます。

不惑を過ぎて実感したのは、失敗にかかる手間や面倒を知ったからこそ挑戦を選ばなくなったということ。その代わり、振れ幅の小さい、計算できる成功は稼げるようになりました。
きっとこの事に良いも悪いもないのでしょうけれど、時々物足りなさを覚えます。失敗することで感じられる、仄暗い安心感というのもあるのです。

ところで私は酒呑みです。果たしてお酒を飲むと酔っぱらう訳ですが、薔薇に棘があるように、酔いには失敗がついて回ります。傷つくと知りながら手を伸ばす薔薇の美しさ、やらかせど求めてしまう酒の恐ろしさ。どちらもチャレンジングで魅力的です。

そして失敗には“ハプニング的な失敗“と“ハプニングバー的な失敗”があることを、皆さんはご存知でしょうか。
前者は予め備えることが出来ませんが、後者は自分の意思が働く分、心の準備ができるという違いがあります。

挑戦を避け、繰り返す日々に倦む心。

それでも失敗すれば傷つきますし、この頃は治りもとんと遅くなりました。ですからそんな時は準備万端、万障繰り合わせのうえ計画的にお酒でやらかすのも一つの方法です。

翌日の予定は何も入れず、家の者には先に謝罪。種々の酒におつまみ、いくつかの甘味とカップ麺、それと翌朝用のスポーツドリンクを買い込めば、準備は完了。手始めにロング缶を1本空けて心の扉をノックすれば、

「ご無沙汰」

と言ってあの日の自分が語りかけてきます。

まあ、過去への変態を期待しても変わるのはせいぜい日付くらいですが、それでも変化を求める気持ちは乙なもの。
「ああ、これ以上飲んだらもう駄目だ」
なんて思いながら、2本、3本と空き缶を増やす夜の闇、それもまた人生の色味です。

なお、気をつけないといけないのは買い足しに出掛けた帰り道、自宅と間違えて隣室のドアを開けないこと。これはハプニング的な失敗。開くのは心の扉で十分です。

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