100人の無意識と戦うのか・・?
6月にジムに入会し、通っている。
6月は一度も行かなかった。
プールをメインで通いたいと思って入会したのだけど、
「水着がない」「水着を買わないといけない」
と、思っているだけで1ヶ月が過ぎた。
あたしは、知らないところ、知らない人が多いところに行くのが苦手。
できれば行きたくない。だからプールも行かない。
おかしい・・・行きたくて入会したのに・・・
重い腰を上げてやっと水着を購入し、7月1日から行き始めた。
これが楽しい!
水は気持ちいい。それだけで気持ちいい。
帰り道は必ず「楽しかった〜〜」ってひとりごちるくらいに楽しい。
でも、次はもう行きたくない・・・
「行きたくないなぁ」って呟く。
そんな自分に「プールに入るだけでいいから!歩くだけでもいいから!」
と言い聞かせ、プールにいく。
すると、前述のとおり「たのし〜〜〜〜〜!!」となる。
この「行きたくない」という気持ちは、無意識が作り出しているもので、あたしの人生で経験を熟知している無意識たちが「行っちゃダメ!!」と警告している。
いわば、船長ひとりに対して100人の船員が猛反対しているようなものらしい。
昨日もプールに行ったのだけど、朝は大変盛り上がっている。
それが夕方になるにつれ、「やっぱり今日やめようかな」になってくる。
「だらだらしてる方が楽ちんだよ〜〜」と無意識たちは伝えてくる。
そんなあたしを、あたしの無意識たちを、うまく宥める方法が少し分かった気がする。
無意識さんたちは反対したいので、それに対して反対しないことにした。
「だよね、行きたくないよね。初めてのクラスだし、失敗するかもしれないし」とか。
それでも、あたしという船長はプールに行きたいから、自動的にいく準備を身体が始めてる。
行きたくない、、、でも行きたい、、行きたくない、、、行きたい、、、
この折り合いを自分でつける。
そうだ、行ったら帰りに友だちが言ってたアイスを買おう!
そう思って、昨日は出かけた。
クラスを2つ受け、辛くて、途中「ビール飲みたい!」と思った。
持ってきたお金は350円。
アイスか、ビールか・・・
終わった後に選んだのは550mのお水だった。
意識も無意識も働かないほどに疲れているときは本能が動くんだなって思った出来事。
無意識は、いつもあたしを守ろうとしてくれている。
と、思う。
あたしは嫌な経験をしないように、昔の思い出を引っ張り出して危険を知らせてくれるありがたい存在なのかもしれない。
だけど、そのままでいると映画のギルバート・グレイプのお母さんのように家から出られなくなってしまう。
(余談だけど、あの時にディカプリオの演技が素晴らしい)
あたしは防御する心がすごく強いけど、冒険したい!という気持ちも強い。
「冒険しよう!」(旅に行こう!これ習ってみよう!転職しよう!)と思うとき、無意識が圧倒的に勝利を収める時と「そんなのに負けないぞ!」と、無謀に飛び込んでいくことがあった。
無謀って大体失敗するから、必然的に無意識に従えばよかった(そのときは無意識とは思ってないけど)となり、冒険を諦める傾向が強い。
そして、いつの頃からか無意識=本能の声と誤解をしてきた。
どちらもあたしの声であり、本能だろう。
そこに折り合いをつける。
無意識を無視してたら危険なことに気がつかないし、
無意識ばっかり気にしてたら冒険できないから。
つらつらと書いてしまったけど、今のあたしは心地よい。
四角四面でもなく、○でもでなく、言うなればスライムみたいな形状のないもののようかな。
そういえば、父が言っていた。
「お客さまの言うことに全て白黒つけるな。グレーもあるんだぞ」って。
若いあたしは「そんなの負けじゃん!!」って思っていたけど、
勝ちでも負けでもないゾーンってものがあるのかもしれない。
100人の無意識とは、戦うのではなく折り合いをつける
ということなのかも知れない。