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覚悟を決めた瞬間


あるがまま生きる


とても難しいと思っていた
仕事
環境
家族
いくつものハードルに阻まれ
その都度
『やっぱり無理なんだ』と諦め
こんな自分は変なんだと
周りの空気に合わせていた

それでも
やりたい事が次々と現れ
「不可能なんてない」

できる範囲でもがいてた

周りからは
凄いね
行動派だね
何でもできちゃうね
と言われ続け
そこそこ満足していた

はじめの覚悟

半径5キロ以内で生活していた
育児時代
出かけるのは買物と病院
何にも変化がない
当たり前の生活

決して不満はなかった
子どもと向き合う時間を選んだ

子どもが幼稚園に入った頃
社会から取り残されている事に
気づいた

このままでは
1人の人間ではなく
『〇〇ちゃんママ』
で終わってしまう

急に不安になった
社会に復帰できるのだろうか?
1人の人として
頼りにされる日が来るのだろうか?

働こう
そう決めた

どうせ働くなら
自分がしたい事をしよう

社会復帰する前に
外の様子を見る機会を作った

ボランティアに明け暮れた

  • 託児セミナーを受けて母子センターでの託児

  • 国際センターの一角にあるカウンターで生活相談や外国人付き添い通訳

  • 近くの小学校での絵本読み聞かせや
    英語活動のサポート
    などなど

若い頃
中途半端でやめていた英語の勉強を再開した

英語を教えたい
それも
小学校で教えたい!

新たな夢ができた

英語を教えるための資格に挑戦しようと思った

家族に相談した

その資格を取るのにお金が必要
「そのお金を使うと家族で海外旅行に一回行けなくなるけど使ってもいい?」

「やりたいんでしょ!」
「やればいいじゃん♪」

当時小学校3年の息子も主人も
快くOKしてくれた

40過ぎてから
英語の勉強に明け暮れる日々が始まった

ボランティアから仕事へ


人のためになる
誰かの役にたつ

毎日が充実して
毎日が楽しい

そんな時
一つの求人を見つけた

ダメ元で挑戦

なんと採用された!

好きなことが仕事になった

憧れだった念願の小学校で働き始めた

最大の覚悟


専業主婦から社会に復帰して10年
またもや新たにやりたい事ができた

子どもが大学生になり自分の時間ができた

これからは自分のために生きよう
そう決めた

しばらくは
動けるうちにと思い20年ぶりに添乗員に復帰した

コロナ禍を経て
コールセンターの立ち上げを経験
管理職に就いた

そんな時
『このままでは日本が危ない』
『世界から日本が相手にされなくなる』
とプロデューサーを育てる学校が開校するという
#川原卓巳のプロデュースの学校

“0期生“という事で内容は何も決まっていないらしい
どんな世界が見えるのか想像もつかない
おまけに安くない(笑)

それでも、どうしても気になり
とりあえず試験を受けてみることにした
これでダメだったら諦めもつく
結果は
なぜか合格した

予想以上のカオスな世界
今までで最大の学び
50年以上生きてきたけど初めてのことばかり

人生が変わった瞬間だった

覚悟を決めるとジブンが見えてくる
何をしたいのか
何を求めているのか

あるがままに生きる
人生を誰よりも楽しんでいる

今が一番楽しい🌈

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ゆみねぇ
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