しにたい気持ちが消えるまで―序章―ベランダ
ベランダ
この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
12月のそらは
くもりひとつなく
あたしを包んでいます
ビルディングだらけの近所は
もう二年も付き合っているというのに
無愛想なまま
でもそれでいいのです
きっとあたしの踏みしめたアスファルトは
あたしの足のサイズくらいは
薄ぼんやりと覚えてくれている
はずですから
この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
国道10号線を走る車たちは
今日も
あたしの知らないところへ
だれかを連れて行っている
死にたい、と漠然と思い始めたのはいつだったろう。
小学校高学年の頃だったろうか、死というものに興味を持ち始め、憧れ始めたのは。
それからずっと、来る日も来る日も、死にたいと思ってきた。けれど、この日は違った。
明確に、「死ななきゃいけない」と思った。今死ななきゃいつ死ねる?
死ぬなら今だ。今なら死ねる。
いても立ってもいられなかった。
とても幸福な気分だった。何か正解を見つけたような気持ちだった。
ひらめきに興奮していた。
高校の制服姿で、屋上に上がろうとしてみたが、屋上に続く扉は施錠されていた。
それでも諦めきれなかった。焦りもあった。今の気分が変わらないうちに、どうにかしないといけなかった。
部屋に戻ってベランダのサッシを開け放した。
住んでいた部屋は三階で、正直、死ねるかどうか自信がなかった。
死ねなかったら? 痛かったらどうしよう? そんなことを考えた。
死ねなかったら死ねなかったときだ。そのときは神様がそうしたということにしよう。
少なくとも骨折ぐらいはするだろう。そうなれば少しは学校を休める。
できれば、苦しみなく死にたいな。
12月14日。空はよく晴れて曇り一つなかった。冬の空気は冷たかったけれど、日差しはぽかぽかと暖かかった。
とても明るく、清々しい朝で、こんな日に死ねるなんて、と感動すら覚えた。
この日のために生まれてきたのだ、と。
うきうきして、でも少しさびしかった。名残惜しさはあった。やらなきゃいけないことはたくさんあって、仲のいい友達もそれなりにいた。好きな人だっていた。
それでも、私はやらねばならないと思った。世界から剥がれ落ちてしまった私を、誰も必要とはしないだろう。
悲しんでくれたら嬉しい。そうやって誰かの、何らかの記憶に爪を立てることができたら。
あるいは復讐だったのかもしれない。
創作において、読者をあっと言わせたいと思う、そういういたずら心にも似ていたかもしれない。
私は持っていた折りたたみ式の携帯電話に一編の詩を打ち込んだ。
考える間もなく、さらさらと書けた。遺書のつもりで、制服の胸ポケットにしまった。
ベランダの柵によじ登るのは勇気が要った。
私は運動音痴で、足のつかない柵に腰掛けることさえ怖かった。おかしな話だ。今から飛び降りようとしている人間が、それを怖いと思うなんて。
手を滑らせて落ちちゃったらどうしよう――そんなことを考えているのだ。我ながら笑えた。
真下の道路の脇に、車が一台とまっていた。女性が乗っていたので、その車が動いてしまうまで待った。
目の前に女子高生が落ちてきたら困るだろう。そういう配慮からだった。
車がいなくなってしまって、私は30秒数えることにした。30秒経ったら落ちよう。特に理由はない。
淡々と数字を数えていった。ただそれだけだった。…28、29、30。私は体の力を抜いた。
シャングリラ、「理想郷」と名付けられたアパート――笑っちゃうよね。人生ってよく出来てる――の三階のベランダから、私は飛び降りた。
死せる神
生と死の境はあいまいで
手を伸ばせば
どこにでも存在する
およそ三年前
死の淵は甘く薫り
神は試すようにして
私に安寧をもたらそうとした
遠ざかる空と
耳を引き裂く音
そして
鈍い音をひとつ
陽にぬくめられたアスファルト
じわじわと競り上がる幸福感
絶望はまぶしく
美しい
わたしはうっとりと瞳を閉じる
名前を呼ばれて
頷いて
それから先は
淡くもやがかかったまま
あの日わたしの慈悲深き神は
いろんなものを奪い去り
罰と許しを与え
死んでいったのだ
この日のことを私は何度も振り返る。感覚を、感触を、情景を、忘れないように。
あるいは、どうしてこうなったのか、と考える。
私は死ねなかった。神様は私を生かした。
けれど、罰を与えた。
胸から下に麻痺が残った。歩くことも、立つことさえ叶わない。手指にも麻痺があって、思い通りには動かしにくい。今の医学では一生治らないとされている。
頸髄損傷。それが私の身体に残った障害の名前だ。
あの日から12年経った。私は車椅子で生活している。
この結果を馬鹿にする人、憐れむ人も中にはいる。
私も、まさか障害者になるとは想像もしていなかったから、迂闊だったなあと思うことはある。
もしその当時わかっていたら、もっと別の死に方を考えていたかもしれない。あんまり笑える話ではないかもしれないが、自分のうっかり具合にちょっと恥ずかしさを覚える。
けれど、強がりではなく本当に、あの日を後悔したことは一度もない。むしろ今は、障害者になってよかったとさえ思う。
あの日飛び降りなかったら、あるいは、軽傷で済んでいたら、たぶん再び自殺に臨んだろう。
運が悪ければ(よければ?)死んでいたかもしれない。
そのくらいずっと死にたいと思っていた。けして衝動的なことではない。
正直なところ、最終的には、自分は自分でしか救えないと思っている。
死にたい人に「楽になれ」といっても無理で、そんなに簡単に楽になれるなら最初から死にたいなんて思わないし、自殺までに至るわけがないと思う。
だから、私は飛び降りたことを後悔していないのかもしれない。そうせざるを得なかったと本気で思う。私にとってそれは一つの通過儀礼だった。
神様から生きることを許された、「この体で生きてみろ」と試練を与えられた、と思えたことは、私にとってひとつの生きる希望になった。
もちろん、本当は神様なんていないということはわかっている。偶然にしろ、何にしろ、障害者になり、身体的な苦しみ、本物の死の予感というものを突きつけられ、死への甘い幻想は溶け去った。
結局、簡単に楽になる方法はない。とことん苦しむ中で、何かにすがったりいろんな無理をしたりして失敗を重ねながら、自分と折り合いをつけていくしか無いと思う。でもそれは本当に苦しい作業だ。
「死にたい」と言う人に、「死ぬな」とは言えない。生きていてほしいけど。だって生きることは苦しみだ。もし死んでも簡単にやり直せるなら、「そんなに死にたいなら、一度死んでみてもいいかもね」くらい、言ってしまいたい。だって「死んだら楽になれる」と本気で死のうとする人を止めるすべなんてない。言葉なんて、他者なんて無力だ。苦しみは、痛みは、その人のものでしかないのだから。
けれども、「死にたい」と思いながらも、やっぱり死ぬのが怖くて、明日なんか来なくていいと思いながらも、結局朝を迎えてしまう。それってやっぱり、「生きたい」ということだと思う。
何よりもまず肉体は生きたがる。何かを傷つけ殺してでも、身体は生きようとする。死を怖がる。死への恐怖を克服するほど、強くならなくていい。そもそもひとりの人間なんて弱くて脆い、卑しい生き物だ。
これから自分には生きている価値なんて無いと思っていた私が、障害者になってすら生きててよかったと思えるようになるまでの話をしようと思う。
うっかり者の私の話にちょっとだけ付き合ってください。そんなに急がなくても死はあなたをゆっくり、確実に殺してくれるから。