「心は病むこともあるのだ」
心が病むというと、ドキッとする人もいるかもしれません。しかし、身体の病気とあまり変わらないと思うのです。
病気となる入口が、感情的な部分を要するからでしょうか。なんとなく
心の病気は特別なレッテル的なものを張る人も少なくありません。
しかし、私が両方の相談を受けるにあたっては、同じようなこころもちでとらえます。どちらも重大な病気の可能性があれば、迷いなく検査をすすめますし、薬などの処方が必要なのも同じです。
最近、面白い本を読みました。物理的にみた細胞について書かれた本です。(「生命とはなにか」Erwin Schrodinger)
そこに、自分が普段から感じていたことが書かれていたので感激し、昼ごはんを2回食べたくらいです。
「われわれが思考とよぶものは意外と秩序正しいものだよ」と本は言っています。
人は、細胞から出来ていて、その細胞の構造で様々な機能が成り立っています。
身体には一定のシステムが備わり、法則的に動いて人間が成り立つということです。
例えば、想像だけで不安になるシステム、一度起こったことがまた起こるという恐怖を感じるシステムなど…
これらは、全て自分の心が全く新しい感情を起こしているのではなく、人間のシステムに乗ってしていることなのです。
だから、似たような症例、似たような身体反応が起こります。
まだ起こりもしない世界を恐怖に感じて彷徨っている人に「あんたいる場所間違えてる!」と何十人に言ってきたか。
恋愛においてすら、秩序正しい心身反応が起こっています。
そもそも私たちは種の保存のために恋愛をし、性行為を行います。性行為にも「気持ちがいい」という快楽を起こすということも人間のシステムの一つで、決して感情だけでは生まれません。
「土屋、お前には感情がないのか。ロボットなのか。冷たいな。」
と思う人もいるかもしれません。
いや、
愛はあるのよ私にも。
井の頭公園の池よりも深い愛が。(結果、浅い)
ただ、人間の心身は一定法則に従って働きを営んでいるということは事実なのよね。
何が言いたいかというと、あなたが今、死にたいほど苦しいこと、元気ないということは一定の時期に誰にでも起こり得るということです。
だから、絶望を覚える必要もなく、ましてや自ら死ぬ必要もありません。一定の流れがある以上、
よい対処をすれば違う道が選べると言うこと。
個人的には物理学では説明できない様々な出来事が起こり得るということは否定しません。だって、動物には進化というシステムもありますからね。
苦しくてたまらない時、どうしていいかわからない時はまず基本的な部分に還るのです。
そして元気な時に調子に乗ってしまえばいいのです。
調子に乗り過ぎて、私に怒られちゃえばいいのに。
#創作大賞2024 #エッセイ部門