月曜日のたわわと表現に関するとある女性のお気持ち
こんにちは。noteはお久しぶりです。片桐まめこと申します。
有料記事ですが投げ銭エリアがあるだけですので、大事な部分は無料で読めます。
最初に断っておきますが、基本的に私のお気持ちです。数ある女性の意見のうちの一つであることを予めご留意ください。
また、ないとは思いますが私の意見を武器に他者を誹謗・中傷する行為は同意見であれ反対意見であれご遠慮くださいますようお願いいたします。
さて、最近TLを(ある意味)元気にしている漫画作品がありますね。
月曜日のたわわです。
本日はこちらの新聞広告を基点として、noteを書いていきます。
そもそも月曜日のたわわの広告に問題があったか?
私は法律の専門家ではありませんので、イチ女性の意見として読んでいただきたいのですが、私個人としてはこの広告は問題ないと考えます。
まずナタリーの記事を抜きにして新聞広告の絵柄だけご覧ください。
女子高生と思しき少女
「今週も、素敵な一週間になりますように。」
単行本の新刊発売日情報と書影(小さい)
月曜日のたわわというタイトルと、作者のちょっとした情報と連載誌
こちらの情報が載っていますね。左下の書影から「たわわ」とは胸の話をしていること、よく見ると中央の少女も大きな胸が見えていますね。これらで「ああ、青年向け漫画の広告ね」となります。興味が出た人、あるいは既に興味を持っている人は買うかもしれないけれど、興味がない人はこんな隅々まで読まずにもう先へ行っているでしょう。新聞の内側にある広告など、そうじっくり読む人は稀でしょうから。
さながら都会の電車のドア付近に貼られている怪しげな自己啓発本の広告を見るかの如く、数秒後には存在すら忘れている。広告を出す側からすれば切ないですが、往々にして広告とはそういうものでしょう。
つまり、それだけです。青年向け漫画の広告なんだね、で終わり。ここからやれ女性蔑視だの、性犯罪を助長なり誘発なりしているだの、男に月曜から性的に元気になってもらいたいだの、女子高生を性的に見ることを良しとしているだの、そんなことは読み取れません。書いていませんので。
ここで作品の内容を持ち出して「公共の場(有料の新聞広告なんですけど)にふさわしくない!」と言うのは単純に卑怯だなと思いますし、仮に見たくないものを見ない権利があるなら批判の時に作品の中身を転載している方がよっぽど悪質じゃないですかね。中身を転載してSNSに載せなければたわわのあのイラストでさえ不快な、あるいは過去のトラウマを思い出してしまう方の目には入らなかったのに。
左下の書影やたわわという文字で女子高生がメインのお色気漫画であることは察しがつくのでそれで不快に思う方がいるのは理解できます。私も青年向けのお色気要素は実はあまり好きではないので。
ですが何がどう問題なのか、同じ尺度で見れる情報がないと「原作が気に入らないから広告を出すな!と言っている」という扱いしか受けず、そんな要望は当然受け入れられません。
女子高生を性的に見る(であろう)漫画なんて公共の場にふさわしくない!と言いたい気持ちも分からなくはないのですが、次の項目にいきましょう。
公共の場は誰にも完全には優しくない
あの新聞広告を公共の場と呼ぶかどうかで言えば私はちょっと微妙だなと思うのですがそれは置いておいて。
公共の場というのは様々な人が使います。その中には男性が怖い人、女性が怖い人、特定の人種が怖い人、特定の色が怖い人、集合体が怖い人等個々に"事情"を抱えた人がいるでしょう。
利用者一人一人の事情に合わせて視界や環境が変わればいいのですが、実際問題それは現実的ではないです。
例えば私に「過去に女性から酷い虐めに遭ったのがトラウマで女性を見ると吐き気がする」という事情があったとしても、全ての女性を家の中に閉じ込めるわけにはいかないですよね。
囚われの聴衆事件の判例でも「気持ちは分かるけど、公共の場はどうしてもそうなる」という趣旨のことが書かれています。
毎日使う電車で強制的に聞かされる車内放送ですら「すまんなぁ」という判決なので、生活必需品とは言えない日経新聞のたった1日分の1枚の広告程度では「見ない権利を守れ!」という主張は厳しいのではないでしょうか。
広告の掲載=媒体が肯定している ではない
ちょっと新聞を読んだことがある方なら分かると思いますが、新聞って結構怪しい広告が載ってます。スピリチュアル系とか、陰謀論系とか、自己啓発本とか、広告の内容読むだけで「それ大丈夫なやつ?」と思ってしまうようなもの、よくありますよね。
結局新聞の広告スペースって場所を売っているだけなので、よっぽどのことがない限り——つまり、広告が掲載されている時点で諸々クリアしているわけです。その諸々クリアの条件には新聞紙の肯定というのは含まれていないでしょう。というかあの怪しい本たちの内容を肯定していたら嫌すぎます。
なので「日経新聞はあの作品を肯定している!」と言うのはちょっと違うと思います。
作品をキモいと思ったり呟くことまでは否定していない
私は広告のイラスト自体はエロくないと思いましたが、色々な価値観の方がいますのであれをエロいと思う方もいますし、月曜日のたわわという作品そのものに嫌悪感を覚える人もいると思います。そもそもあれお色気漫画ですし。無料分を読みましたが、私も作品そのものは好きになれませんでした。ですのでその嫌悪感を表明することまでは私は制限したくありません。だってキモいものはキモい。それは変えられない。
ただし、嫌悪感の表明はやり方を間違えると名誉毀損などで訴えられるリスクはあるのでそこは気をつけた方がいいと思います。いくらキモいと思っても他人をやたらめったら傷つけていい権利はないので。
……と、上記まで正直前座です。問題はここからですよね。
未成年を性的に見る創作物は現実に影響を及ぼすのか?
以前こんなツイートをいたしました。
まず、大前提として未成年相手の淫行は犯罪ですし、成人が相手であろうが合意なき性行為はダメ、絶対。痴漢も盗撮も犯罪。あまりこういう言い方はしたくありませんが、これに関しては当たり前です。
当たり前です。(大事なことなので二度書きます)
性被害だけでなく、あらゆる犯罪被害なんてない方がいいし、犯人が悪い。
さて、私の自論を述べますと「過去に積み上げてきた価値観を(悪い方向に)壊すほどの影響力はない」という考えです。
これは手嶋海嶺さんのnoteも大いに参考にしております。
という旨を上に引用しているツイートのツリーで書いたところ
・未成年女性や女性を性的に見ることやセクハラはまだ「悪いこと」として認識されていないので窃盗に比べて「悪いことだ」という意識が希薄であり、ゆえに真似をしても問題ないものだと誤認する人がいる。
・青年誌などは未成年者でもアクセス可能であり、倫理観形成の時にそれらを参照して価値観を形成してしまう恐れはある。
というようなご指摘をいただきました。
一部なるほど、そういう理屈なのねと思えましたのでバズったのも無駄ではなかったようです。
確かにAVを鵜呑みにして失敗する人もいるでしょうし、上の理屈は一理あると思います。
なら、どう解決するのか。
表現規制が有効だとは思えない
こう書くと「出たよ表現の自由戦士w」と思われるかもしれませんが、実際あまり有効だとは思えないんです。
なぜなら、創作物が世の中の価値観を支配できるほどの力を持っているなら、今頃世界は平和になっていると思いませんか?
この世にはラブ&ピースを描いた作品はごまんとありますよね。道徳的なメッセージを込めた作品なんて掃いて捨てるほどありますよね。でも現実はどうでしょう?
そして、実際に表現規制を行なっている国は日本より目に見えて平和な生きやすい国になっていますか?
安易な表現規制はクリエイターやそれに携わる方、あるいは趣味で絵や文などを書いている人々の人権を制限します。それって仕事(つまりは生きる手段)や生きがいを奪いますよね。
あなたが今何気なく呟いたツイートが規制の対象にならない可能性は0と言えますか?
一部の表現が制限できてしまったら、あれもこれもと制限できますよね。
(というか、結構もう制限されていますが)
例えば政権批判を禁止することだって今より容易になる可能性だってあります。
こんなに大変なことをしておいて「うーん、(性)犯罪、減ってないね」となったら制限され損じゃないですか。しかも一度制限したら二度と元に戻らないと思った方がいい。
そんな危険な賭けには私は乗れません。
また、締め付けがキツすぎるとそれはそれで実在の女性が煽りを食う本末転倒な結果もあったりしませんか?
確かに創作物は世論を少なからず反映していますが、創作物だけでは世間の価値観を動かすことはできないと考えています。
それよりは教育制度や福祉をより充実させた方がいいのでは
なぜ人が(昔ほどではないにしろ)セクハラに寛容であってしまうのか、なぜAVを鵜呑みにしていまう人がいるのか。
それって結局今の教育内容だと性行為に関する教育が不十分だからなのではないかと思います。
残念ながら私はもう女子高生ではないですし、教育現場では働いていませんので認識に齟齬があったら申し訳ないのですが、私が高校生の頃って性的同意とかに関してはあまり詳しくやらなかったなという記憶があります。
外部から講師を招いて、二時間ほど講演を聞く機会はありましたが、外部から招いているということは教科書の範囲ではないということですし、たった一度話を聞いただけで正しい理解ができているかと言われると答えに窮します。
もし外部講師を招かない学校だったら、親にも相談しづらい話題、何も知らないまま大人になってしまう可能性だってありますし、その前に青年誌で間違った価値観を身につけていても親も気付きようがないので訂正の機会がないまま独り立ちさせることにもなります。
……これじゃん?
いや、これじゃん?
どちらかといえば費用対効果が期待できるのってこっちですよね。
こういうことがなくても、教育現場のブラック化って問題になっていますし、「間違った性知識に基づく加害の問題が起こりえる」という追い風で教育現場の待遇改善、そして教育カリキュラムの変更(主に中学・高校の保健体育でもっと性についての項目を入れる)などを要請した方がみんなが幸せになると思いませんか?
また、少し話は逸れますがセイシルのようなお悩み相談サイトを国で作れるとなおいい気がします。あったらすみません。
それと、発達障害など支援が必要な方、あるいは診断は下りないけどボーダーラインの方に必要な支援がきちんと行き渡るように、また子供のうちに診断できるようなリソースの拡充も必要だと思います。親が診察に行ってくれなくて…というパターンもあるでしょうし、そうなると親子に対するケアももっと必要ですよね。
防犯対策ももちろん必要
電車内の痴漢の抑制としてはやはり防犯カメラでしょうか。これに関しては鉄道会社の企業のお金になってしまうので運賃の賃上げとかあるのかなとも思いますが、それで防犯カメラがつくならいいでしょう。
(また、これはこれで地方の鉄道会社だと厳しいこともありこちらもこちらで簡単な問題ではないのですが…警察と協力とかできたりしませんかね…)
あと、これは悪い一例は他の良い例がいくらあっても目立ちやすい部分があり仕方のないところはあるのですが、なんとなく「警察に言っても二次被害を受けそう」という印象がある方も少なくないと思いますし、男性の性被害は信じられにくいという現状もあったり証拠保全をどうしたらいいのか適切な対応が分からない方もいると思うので、警察も「性被害に遭ってしまったらどうするのか」というのと「男女どちらでも話はちゃんと聞くし犯罪は許さない」という態度をもっと前面に押し出して欲しいなと思います。
飲酒運転撲滅とか結構力入れてるイメージがあるので、あのくらい「こういうセクハラは犯罪です」とか「性犯罪を許さない街に」とか、そういうことにリソースを割けるように。
ちなみに「性犯罪 警察」で検索すると下記のサイトがトップにヒットしました。こういうのをもっとしつこいくらいアピールして欲しいな…!
表現規制をするにも、教育や福祉の充実を図るにも、防犯対策をするにしても、いずれにせよ税金や時間は必要でしょう。
ならば、私は後ろ二つに力を入れて欲しい。使える税金は無限ではないので一朝一夕にはいかないことはもちろん理解していますが、だからこそ少しずつでも”人を傷つける勘違い”の芽を効果的に摘む方に動いて欲しい。
私は何も性犯罪を擁護したいわけではないし、それは他の表現規制反対派の方々も同じだと思います。犯罪事件なんて起きない方がいいに決まってます。こればっかりは言い切ります。
おそらく表現を規制せよと言う方々もこの思い自体は同じだと信じてます。選んでいる手段が違うだけです。
私に賛同しろとは言いません。ただこういう考えの人もいるのだと、存在だけは認識してほしいです。
最後になりましたが、今すぐできる被害者支援があります。寄付する余裕がなくても、拡散はできます。
私の意見や存在が気に食わなくても構いません。どうかご協力をお願いします。
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