セクシュアリティを決めないことにしたら、楽になった
こんにちは!菜子です。
私は、自分のセクシュアリティを決めないことにしています。
なぜかというと、考えても分からないから。
ざっくりと3つに分けて話します!
こんな人もいるんだなぁくらいに読んでくださると嬉しいです。
1.セクシュアリティに向き合うきっかけ
高校1年生のときに同性の子に恋したことがきっかけで、自分のセクシュアリティについて考えるようになった。
今まで男の子だけが恋愛対象だと当たり前に思っていたけど、言われてみれば、女の子が(も)恋愛対象も違和感がない…
とは思いつつも、受け入れることは難しく、
女性を好きになってごめんなさいと
何かに向かって謝り、ひたすら泣く日々。
ちなみに恋の結末は、告白して振られて距離を置いて、気持ちの鎮火を待つスタイルで今に至る。
そして今まで、好きだった子のことばかりで考えていなかった自分のセクシュアリティのカテゴライズに次第に悩み始めることになるのだ…
2.ラベルを貼って安心したいだけなのに
私って、レズビアンなのかな…
いやでも、前男の子好きだったことあるし、
好きな子が男でも女でもどっちでもなくても好きだった自信ある?…相手によるなぁ
どういう人がタイプか聞かれても答えられない…
今回好きになった女の子もたまたまなんじゃない?思春期のあるあるじゃない?
*
たった17年間の私の人生は、
ふわふわとしていて不透明で
何か型に当てはめないと
どこかへいってしまいそうで不安だった。
自分に何かラベルを貼らないと、存在が認められない気がして焦っていたのだ。
ただひたすら怖くて泣いていた。
3.私が分からないなら、誰も分からない
ずーっと考えていた。
誰にも言えずに、言わずに。
でも考えれば考えるほど、
自分が分からないという底なし沼に沈んでいく。
どうしたら、自分が分かるだろう?
そんな時に、出会った言葉。
“I decide who I am.”
映画『Bohemian Rhapsody』で、
ラミ・マレックが演じたフレディ・マーキュリーが発した言葉。(ボヘミアンラプソディのオフィシャルサイト)
フレディには、男性の恋人がいた描写があった。
その彼が発した、
「自分が何者であるかは自分が決めるよ。」
というその言葉は、自分が何なのか分からなくなっていた私にとってはとても必要なことだった。
今までネットの情報や、周りの目、過去の自分などを気にしてばかりいた。
それじゃあ今の自分はどう思うんだろう?
答えは、「分からない。」
そっか、それでいいんだきっと。
自分を決めるであろう自分が、まだ自身のことが分からないと思うなら、それは信じていい答えなのだろう。
だから、決めないことにした。
私が分からないなら、誰も分からないし、
それがいつだって正解。と今は思っている。
あえて名前をつけるなら、クエスチョニング。程度の意識で今は生きている。
*
悪くいえば、「考えることを放棄した」「開き直り」に近いけれど、考えても分からないし、考えれば考えるほど心は沈み、病んでいく。
だったら良いよ、考えなくて。
私は、私の「好きだなぁ」を大事にしたいよ。
4.まとめ
カテゴライズ、ラベリング、ステレオタイプ、、
色んなものに縛られて、
気持ちに蓋をするのは悲しい…!と、私は思います。
どうか、あなたの「好きだなぁ」も大事にさせてください。
読んでくださって、ありがとうございました!