大切な人が傷つくこと
母に、故意に傷つけられてきたことで、私のさまざまな感覚は基本的に麻痺しています。
どれだけひどいことを言われても、あまり心に響かないというか、自分ではない誰かが言われているんだなーと、ワンクッション置いて考えられるようになりました。
そのせいか、あまり腹を立てて怒ったりすることもありません。まめちゃんは冷静だから。とよく友人にも言われます。
冷静なんじゃなくて、カッとなれない。
自分を侮辱されても、へらへら笑っていられる自信があります。
うちの毒母ですが、たまに主人に会うとすごく毒を吐きます。
止めても、「言ってあげてるのよ」というスタンスだから理解ができない。
主人は年に何回かだから、と母のことは苦手ですがやり過ごそうとしてくれますが、私の精神がピリピリしてつらいのです。
私が罵倒されるのなんてどうでもいい。なんだって我慢する。
だけど、私の大事な人が理不尽なことを言われているのは耐え難い。
それをうまく助けてあげられない自分にも腹が立つし、なによりそんな理不尽を吐くのが自分の親であるということ。
主人と主人のご両親を見ていて思います。
普通っていいなぁ。
信頼関係があるっていいなぁ。
ハラハラ、ドキドキしなくていい家族っていいなぁ。
私はそんな家族を作れるだろうか。
子どもに毒を吐いて、私のような思いをする子にはならないだろうか。
自分のことなんて、どうでもいいと思っていました。
私の本音なんてどうでもよくて、私が多少無理をしてうまく物事がすすむのであれば、いくらでも無理をする。
弱音も吐かない自信がある。
だけど、自分の子どもに私のようになってほしいかと考えたとき、声を上げて泣きました。
かわいそうだ、あまりにもかわいそうだ、と。
あるとき主人は、私がいつも無理をして大丈夫って言うので私を幸せにできていないような気がする、と初めて泣きました。
誰一人幸せにできていないのは私の方なのです。
親も幸せにできていなかっただろうし、主人のことだってそんなことを思わせてしまって全然幸せになんてできていない。
主人に出会って、この人のために生きていきたいと思ったので、多少の無理なんてどうってことありません。
結婚するまでの自分に、今の自分がどれだけ愛されてどれだけ幸せか見せてあげたいくらいなのに。
毒親出身はやっぱり難しいな。
高望みしたのかな。
そんなことを最近よく考えています。
主人の子だから今も葛藤しながらおなかで育てているのであって、私ひとりの子ならそんな子いらない。
主人に見捨てられてしまう日がくるのであれば、いますぐこんな子どもを捨てて、私も死にたい。
母親失格なんです。
いやむしろ、家族という単位を作ろうと思ったこと自体、私には高望みすぎたのかもしれません。
主人もきっと、私みたいな人間じゃない人と結婚したほうが、より穏やかに楽しく生きられるんじゃないかな。
私の存在って、誰かの足しになっているのかな。
足かせにしかなれないのであれば、生まれた子が生きにくい人生を送るなら、消えてしまった方がいいのかもしれない。
天気が悪いので、そんなことを悶々と考えています。