母性とは
続きです。
※妊娠を望まれている方にはとても不快な内容が続く予定です。そのような方は読まれないことを強くおすすめします。
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「母親になる自信がない。ちゃんとできるかわからない」
というようなことを泣きながら主人に伝えたと思います。
主人はすぐ、「誰と比べなくてもいいよ。ちゃんとした母親かどうかなんて、産まれてきた子どもが決めるんだから、できることを無理せずにしたらいいんだよ。」
と言ってくれました。
私は、自分の身体の中で起こっていることだから全部自分でなんとかしなくちゃという気持ちが強かったことに気づきました。当たり前だけど、この人の子どもでもあるんだ。
婚姻届を出したときに決めた、この人のために生きていく、を、今こそ心に決めるときなのかもしれないと思いました。
子どもが大好きで、こんなに喜んでくれるこの人の子どもなら、どんなにしんどくても産まなくてはならない。
そう考えることにより、一旦自分の気持ちの落としどころをつくったのでした。
妊娠8週のとき病院に行き、そこで心拍が確認できました。
流産のことを毎日のように調べていたのですが、稽留流産の場合、自然排出や、手術もあるとの事で、私はそれにも怯えていました。
痛いのは嫌だ。家で出てきたらどうしたらいいの?気持ち悪くて触れるわけないじゃん。
他の妊娠された方のブログで、悲しい事に流産で自宅で産まれた方など、とっさに子どもを拾って、ごめんね、苦しい思いをさせたね、とお母さんが謝っておられる記事をたくさん見ました。
私は自分の身しか考えることができず、やっぱり私には母性のかけらもないんだ。母親失格だな。
と、自己否定に陥っていました。
心拍を聞かせてもらえたりする病院ではなかったので、私には生きているのか死んでいるのかすらわからず、先生が元気、元気、と言ってくれた言葉で、ああ、痛い思いしなくていいんだとホッとしたのです。
子どものためではない、自分のことだけを心配し、安堵する。
最低だと思いました。
このまま妊娠を継続していけば、いつかは死に値するような壮絶な痛みで産まなければならない。
行くも地獄、帰るも地獄。
なんでこんな目に遭わなきゃいけないの。
主人のためだと言い聞かせても、自分のことはどんどん嫌いになっていき、塞ぎ込む日が増えました。
主人が言ってくれたように、私は「周りの素敵なお母さん」みたいになれないことに悩んでいました。今まで見てきた周りの妊婦さんはみんな幸せそうだった。「妊娠」で検索をかけてたどり着くブログはみんな母性に溢れていて、子どもの無事と成長だけを祈り、日々を過ごされていた。
妊娠すれば母性が芽生えて当たり前。
お腹の子を守れるのは母親だけ。
母親は強くならなきゃいけない。
「ママの気持ちはベビーに伝わっているよ!」とか、「しんどくてもママは無理しないで!ベビーもしんどくなっちゃう」
など、記事に出てくる「お母さん」「ママ」に、私は気持ち悪さすら覚えていました。
でも中絶するなんて言ったら、喜んでくれた主人や主人の両親はどう思うだろう。
その時は離婚になるだろうな。
ぼんやりとそう思いました。
主人に捨てられたら、私はもう生きている意味が無くなってしまう。
じゃあこのまま騙し騙し妊娠期間をなんとか過ごし切り、仮に痛みに耐えて産んだとしても、その子どもを恨むのではないかと思いました。
この子のせいで、と思ってしまう日がきてしまうのではないか。
そんな私を見て、主人はどっちみち幻滅するに違いない。
自粛が続き、ろくに外出できないので、私はできた時間で狂ったように片っ端から妊娠ブログを見ていきました。
私と同じようなことを書いている人はそうそういませんでした。
やっぱり私には母性がないんだ。
欠陥人間なんだ。