父の死をきっかけにnote始めます
noteをやってみようかな?と思ったのはかれこれ3月中旬頃。
きっかけは父の病気。末期の膵臓がんでした。
その時はまだ1年は生きていけると漠然と思っていた。
なぜなら余命が4か月~1年です、と医者から言われたから。
正直、今これを書いている最中でも涙が止まらない。
泣きながら書いていて、まだ自分の中で全く父の死に対して
整理がついてないことがわかった。
余命を宣告されるということがこんなにつらいことなのか。
誰か身近な人を失う、ということ。
病院に家族全員が呼ばれ、余命を宣告されるということ。
横で意気消沈している父を頑張ろうと励ますこと。
励ましているのに家族全員が号泣していること。
本人が一番つらいのに、周りが泣いてばかりいること。
3か月前、「落ち着いたらnoteに自分の気持ちを書いてみよう」
と思ったけど、とてもじゃないけど書く気分になれなかった。
とにかく悲しくて、何かにすがりたくて、人はこういうときに
宗教というものに救われるんだろうな、とも思った。
入院⇒退院⇒自宅療養と共に
世間がコロナで騒がしくなる
本当に不幸中の幸いとはこのことだった。
コロナにより、テレワーク推奨となった私は、実家に帰り、
父との生活を始めた。
退院初日にアマゾンで杖を買った。
1か月入院していた父は、もう全然歩けなかった。
ベッドサイドにおける物入を100均で買った。
このころから、仕事一番だった私は家族が一番、
と気持ちに変化があった。
何のために仕事をしているのか。
会社にいても、悲しくて全く笑っていない。
みんなが笑ってても自分だけ地獄にいる気分だった。
毎日絶望の淵にいたが、
父の強い希望により、化学療法が始まった。
毎週1回、都内の病院に車で通い、
へとへとになってくる父を家で迎えるのが習慣となった。
食は細く、お粥を数口食べれればよいほうだ。
当たり前に、どんどん痩せて、髪の毛は抜け落ちていく。
膵臓がん、そして進行が異常に早く、日に日に弱っていく父と
過ごすのが本当に毎日つらかった。
後悔しないように
とにかく毎日場所を構わず泣いていた私を唯一理解して
励ましてくれる彼氏には本当に感謝している。
毎日毎日悲しんでいた私に彼が投げかけた、
「生きているお父さんに対して、生きる希望を奪わないでほしい」
という一言。
本人が必死で生きようと前向きに治療にとりくんでいるのに
家族が悲しんでいてはだめだと。頭ではわかるが、
感情が崩壊しているのでなかなか難しかった。
でも、唯一自分で後悔しないように、すべての予定の優先度を
父中心にした。なんでも父のためにしたかった。
自分のメンタルを保つためにも、ネットで膵臓癌に関する記事は一切調べたりしなかった。これも彼氏からの助言で、
「医者の言うことだけを今は信じて、余計なことを入れない」
というものだった。
後から考えると、確かにこれはよかったかもしれない。
ネガティブなことばかりを考えていて、とにかく希望をもてないのに
更なるネガティブ要素は不要だった。
今日はこの辺まで。