おやじが80歳に
朝の西鉄バスに高齢者の姿が必ずある。病院かパートタイムか。きっと、働いているのだ。
始発乗車の私は、必ず椅子に座ることができるので、その姿を見て、胸が苦しくなる。
おやじと母は、私の今の年齢の55歳のときに、長崎県長崎市北部の住宅団地の「滑石上床(なめしうわどこ)団地」から、北に約20㌔離れた西彼杵郡外海町(にしそのぎぐんそとめちょう)に完全移住した。
海か山かの判断で、海にしたという。
そのおやじが傘寿。10月には母が79歳になる。
元気で何より。おやじが地域づくりNPOを運営する一方、母は製パン業と体験民泊、週末喫茶室を営む。今も朝早くから働く、今もきちんと稼ぐ現役なのだ。
今日も楽しくやっているだろう。
老後の生きざまって、何だろう。
これまでの軌跡がすべてもろに現れるような気がする。
よい大学、よい企業につくエリートの子を持つ親こそ、寂しい老後を過ごしている姿もよく見る。その子もいつか定年退職を迎える。
田舎と都会。
九州の田舎は長男長女が残り、家と墓を守る。都会にはきょうだいの下の子たちがどっと押し寄せ、ふるさとに帰ることはない。親も亡くなり、もう戻れない。
私の父母は今後どう生きるだろう。
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1番下の弟から「お祝いの会」をしようかとの提案があった。
父母にとって、孫は5人いる。スケジューリングが大変だが、10月に開催の運びになるだろう。
優しいね。三男は。
ふるさと長崎市で祝宴を開く。
福壽の中華か、角煮の坂本屋を希望しますと男三兄弟LINEグループに投げた。