おふくろの味でも、どーかいの?
こんにちは、ご無沙汰しております、おさんぽです。
今回は、愚痴から始まります。
爽やかな初夏に、noteで愚痴るのもどうかと思ったのですが。
会社員の夫は、このところ、在宅勤務が増えた。
あんなにも 家にいなかったのに。
同じ会社に35年、会社での仕事は、彼の人生そのもの。
それが、今は
ずっとずーっと家にいて、ほぼ一日パソコンに向かい、時にしゃべる
(会議)時々散歩に出かけ、帰ってきて野球中継見ながら ビール飲んで寝る毎日。
本人は、どう感じているのか。「訊けばいいじゃん?」
ですよねー
どうも なんか、核心についての会話がなくて💦
(それでしょ?というご指摘があることは存じております。いったんここはスルー致します)
おそらく
状況も理解しているし、メリットや新しい発見もあるな、とも思っているし
これは、私もなんですが、
お陰様で、なんとか無事にいることを有難く思いつつも、
おっさんが、あの 外で元気な おっさんが
ウチに居続ける、3食ウチで食べるようになったことに
まだ適応できてない。
更にこれがまだ続く見込みであることに対して 薄目開けた感じの
半覚醒というか。わからんでもない、その感じ。
そんでもって、
夫は家事というものをしません。専ら私がやってきた。子どものことも
そうです。子どもたちはとっくに独り立ちしましたけどね。
リモートワーク;仕事 ですから、勤務時間があることはわかってますけど、こんだけウチにいて なんもせんというのは どーかいの?
(広島弁≒どーだろーか。もう長く使ってなくて、すでに死語かもしれませんが)
私の働き方は、ずっとパート勤務で、特別変わってはいないです。子育て中はそりゃ大変なこともありましたけど、勤務外は(育児)家事。とにかく 隙間でちゃっちゃと家事をやる。
勿論、作った食事は、私も食べるし、トイレもお風呂も使いますよ。
そして最近は 育児が終了し、こうしてnote記事書いたりもしていますが。
そりゃそうなんですけど
お前さん、家にいるんだぜぃ、
来る日も来る日も なーんもせんというのは、どーかいのお?(しつこい)
どうも もやっとする。なんか 私の受け止め、感じ方が、以前とは違うんだな。
これが、子どもが久しぶりに帰って来る!となると 別でして。
何もかも全く嫌じゃない!
そうです。分かり易すぎ。
みなさま、みなまで言わずとも
ばあさんの我儘 ということですね。承知しています。
更年期、もう終わったでしょ?単にイライラしてるんだろうか?
加味逍遙散 買って服むべきか?
「イライラする人は、子どもが描いた絵を眺めるとよい」とのTwitter投稿を
参考に、盛大に家探しをしてこんな絵を見つけて、安物の額に入れて 飾ってみたり。まあ、なごみますよね。
以上愚痴でした!って おーいおばちゃーん、オチなしですやん!
そうなんです、このモヤモヤ、あまり笑えないもんで、
オチないのよね。深みにはまるのよね。
娘の絵はいつ見ても笑えるけど、この度の「どーかいの問題」の根本的な解決には結びつかない。
何をもってしても 解決できないとしても、根っこのことを考えるのをやめないほうがいい。私は、そう思うのです。
多分なんですが(聞いてないからねぇ)
おっさんはね、
「見ない聞かない考えない」の3ム主義を選択している。
何それ?(勝手に作ったので、気にしないでください)
で、なぜ?
「そりゃめんどくさいだけでしょ?」「この状況でなぜにそこまでめんどくさがる?」
「訊いてみりゃいいじゃん?」 そうなんですけど
その前に ちょっと考えてみたんです。なんでなのか。
面倒?ではありますが、興味があったんです。何で彼はこうなのかな、と。
ベランダに置きっぱなしの植木鉢ひっくり返して、こんがらがったひげ根を除くような作業。
そのままにしとくか、捨ててしまうか。
今回は、私のケチが勝って 土は残すことになりました。
我々夫婦の問題 だけではなくて、仕事や転職に関わりもあり、一般化できる話かなと・・・ 思いまして。
どうでしょう、自己流ですが、まとめてみたいと思います。
①変化に対する適応と慣れ
②できる、できない する、しない
③動き続けること、進んでいくこと
④動かないこと 守ること; まとめ
そりゃ・・・順不同です。
①変化は常にある。気付かないことから、分かり易いことまで 色々ある。
実際に、人間の外界への適応能力はハンパなくて、常に変化する環境に常時休みなく、意識するしないに関わらず、生きている限り 適応し続けている。だから、生きているんですよね。
以下、語彙に関する記述は、全て 三省堂 第6版 例解新国語辞典を参照しました。
「変化」とは、状態が変わること。「変動」や「変異」も近い言葉ですけど、ここでは「身の回りの変化」みたいなことを意図していますので「変化」。
「適応」とは、ある状況にぴったり当てはまること、また当てはまるように変化すること、とあります。環境は変化をやめないわけですから、変化に対して変化する。変化を感じて応ずる、自ら当てはまろうとして 動くこと
が適応すること、なんですね。
一方、「慣れる」というのは動詞なんですが、私は受動的なイメージを持っています。辞書には、「何度も繰り返し経験した結果、特別なコトと感じなくなること。または、何度も繰り返して、身につくこと。」
全く同じ状況というものは 二度とは無いにしろ、似たようなパターンの変化に 繰り返し対応することで 目新しさを感じない。それは、だいたいこうなる、という「すこし先の変化」が予想できることで ワクワクもしないがアタフタもしない、ということ。
慣れるまでには、適応を繰り返さなければならない。
適応することは、能動的に動くこと、自ら変わっていくことなので、
早いスパンで 躊躇なく変わることができるかどうかには、その変化が必要で不可欠である、と感じること、理解できることが前提で、かつ頭と体が動けるかどうかの、可動性の問題も関わってくると思います。
そして、また④でも触れますが、頭で理解していても、新たなことを取り入れることができない、したくないという心の働きもある。これは老若男女問わず持っているもので、適応、慣れ、から更に進まねばならないとき、ぶち当たるわけです。
②できるヤツとか、使えないとか言いますけど、確かに、優れている人は、初めての仕事の説明に際しても、メモもとらずに、すぐに覚えて間違えないですね。モノが違うの。まっ、そうかもしれませんが、これは「準備」とか「構え」の違い もあると思います。よく観察する、調べておく(予習復習)、動きを想像して 注意点や疑問点を揚げておく。
普通の人は、簡単な作業でも 3回はミスると思っておく。ミスれば、もう間違えない。「こんなことも知らんのか?」「すみません。」「わかりません。」このやりとりを繰り返し、なぜそうなるかを体得していく。
時に失敗しながらでも 繰り返していれば慣れる、できるようになる。
そして、およその終点が見通せるから 不安なくいられる。慣れの境地。
遅かれ早かれ、誰でも いっぱしに慣れる(成れる)。
幅がありますが、あまりにも慣れない場合は、作業に向いてないか、見守りの環境が適切でないのでは?とも思います。
できるとか できないとか言うのであれば、
適応するという、能動的で主体的な動きが どうだったのか、アドバイスは適切であったのか、をきちんと見てほしい。
そのことは、評価する側に求められるよ、と思います。
③時間は勝手に流れていきます。時間を無駄にしない、ということと
速く正確に動き続けることこそが〝よい仕事”という概念は同じベクトルではないように 私は思います。甘いといわれるかもしれませんが。
何であれ、考える時間、議論の場が必要だと思う。
これは、労使の立場によって 受け止め方が違うとは思います、と予め申しておきます。
一定の作業である場合、集中して 間違えないように 早く正確に タスクをこなす、同じ動きを続けることで たくさんできる。生産性は上がります。勤務時間中は時給が発生しているんですから 当然ですよ。
手を止めないで動いてください、考え?いらない、必要もない。
(注;ERでの動きは、別です、当然ですが。頭と目耳手が別々に作業しているらしいですから。)
大げさでしょうかね?でも これ機械ですよね。機械に近づくことを求めてますよね。
すぐにロボット化したらいいのにね・・・
人間がその状況に適応するには、考えないでいるほうがいいし、快不快すら
作業効率にとっては邪魔になりますよね。感じなくする方が楽ですよね。
営業系、事務系、ライン業務、など 大まかな仕事分類はあっても、内容は多様で 繰り返し作業もあるし立場によってもそれぞれ対応する必要があるでしょう。だから そんなに単純ではないよ、と叱られるでしょうが
・「上からの指示」って「考えなくて良い 指示」か?
長くやってれば、慣れて 仕事は速く上手になるでしょう。
状況に適応して、止まらずに作業して「たくさん上手にできたねー。」が主な評価基準。数字。それだけなの?
そこから更に、速く正確にたくさん、が求められる。
いや、そんな指示してない?でも評価は生産性、数字だけですよね。
そしたら、考えないで、動き(適応)を止めない、が続きますよね・・
先日YouTubeで京都大学の人文系講座の無料配信があったことは、コロナ下での 嬉しいことのひとつでした。その配信のテーマは
「立ち止まって考える。」
深く考えようとすると、大体において 人間 動きは止まると思う。
(先生へのツッコミではありません!)
時給払ってもらってんだから、だまって動き(適応)続けろよって 言わないまでもね、「上」が考えるだけではなくて
個々が考えるということ、意見を募る、話し合うという余裕がないと
動き続けることだけに価値が置かれがちです。
それは、そのままでいいのでしょうか?
動いているだけで、進んでいない。それは、どーかいの?
ここで、始めの「どーかいの問題」を思い出してください。
夫をおとしめる意図はないです。でも、彼は長い年月を 会社の中で過ご
し、適応して、ホントにうまく適応して、慣れて、成果を出して
給料をもらってきたのです。
お父さんですから。給与に直結する適応をする、し続ける。いいも悪いも
好むも好まざるもない。
「上」はどう言うか、自分はどうすべきか、或いは部下にはどう言うべきか、を考えること。それは、考えているようで、適応方法を考えているだけです。根っこ部分は、考えない。正確には、考えることを求められない。
指示があるから。指示があるまで 行動できない。そうなんだ。
だから、
予め、こんな場合にはどう対応するか、を自分で考えておくことは、むしろ邪魔になったりもするんですね。細部まで決められた指示への、迅速な対応(適応)にとっては。
自分と家族を守る「構え」が、指示に対する考えない対応であり、それが、慣れて板についてしまって、もはやくっついてしまっている。
「定年で退職したら、こんな感じで家にいるんだね。」「うーん。」
「何かしようとか、考えてんの?」「うーん。」
はあーっ、
「どーかいの」と思うけれど、なんだか、ため息もでるんです。
動かないけど、まあいいか。そういうことに・・なりそうですね。
④若い人にとっては、年寄りがスマホやPCを苦手としていることは、なんでや!って不思議なんだと思います。それは、私も 思われてることを自覚していますよ。
でもね、便利であることはわかっていても、すぐに操作に「慣れて」しまう若い人と違って、慣れるまでに時間がかかることは事実としてあります、個人差ありますけどね。
私の場合、しくみがわからないので、IT全般に対して、漠然とした怖さ、落とし穴のようなとでも言いましょうか、があります。
お年寄りが、ときどき「わからん!」と私の説明(薬)に癇癪を起してしまうのですが、私にはそれも分かります。とにかく、わからん!
細かいことも全体像もどっちもつかめない。操作は簡単で、誰でも言われる通りに進めば 登録完了できるのですが、向こう側が見渡せない、得体のしれないモノへの不安というのが大きいように思います。
この不安、若い子にはあまりないですね。
先入観なく、新たな状況への適応する、これはいい面も危ない面もあるとは思いますが、若さの故だと思います。調べる、検索するのも早いですから、危険回避についても調べ済みなんですね。
それでも、ときに 落とし穴はあるでしょう?引っかかった後は、不安になるでしょう?もう、やめとく、くらいになることもあり得ます。
不安の前では、動けなくなる。守りに入る。動かないことを選択する。
「守る」とは、以下引用。よくないことがもたらされるのではないかという不安から離れて、安全なところにとどまる、こと。
そうなんです、動かない選択をするのは、自分を守りたいから。
ものすごく速く動いていく社会全体に、怖さを感じてもいるので
若い皆さんと対比すると、「頑固」というか「物分かりが悪い」面が、強く印象付けられますね。実際、あまりにもマイペースで、どうかと思うよ、という方もおられますが、これも不安から離れるという適応であり、慣れ親しんだアナログ生活を守っているのですね。
慣れてしまった状態から、わざわざ新しく不安な状態へと 自ら動くのは
「守る」とは反対の行為ですが、
世界はとどまらず動いているのですから、しかも
この見通しが利かない今にあっては、
やっぱり、時に立ち止まって守り、しかし、常に考えては動く。速くなくてもいいし、後に戻ったりしてもいい。老いも若きも 黙ってないで 決めつけないで 動いて 前に進みたい。そう思います。
ウチの問題について。これからボチボチ。
土を綺麗にしたら、なんの種を植えようかな。
相談してみます❣
とりあえず、ご飯の支度をしますね。まあベテラン主婦ですから
慣れたもんです。慣れきった味ですが、その方がいいかと。
特別に美味しいといわれたこともないですが、
安心の おふくろの味ってことで。
30年 文句も言わず 食べてくれて ありがとうね。
そういうことで いっさいの解決なし。
おさんぽでした。