夏目漱石「三四郎」本文と解説2-4 女は嗅いで居た白い花を三四郎の前へ落して行つた。
◇解説
この美しいシーンは読者に愛され、それによってこの池は「三四郎池」と呼ばれるようになった。
前途に迷う三四郎の前に登場した女・美禰子。彼女との出会いが三四郎の青春を彩り、やがて彼を諦念へと導く。
「不図眼を上げると」は、三四郎と美禰子の出会いが偶然だったことを表す。
続く部分の要素を整理すると次の通り。
・池の端にじっとしゃがんでいる三四郎から見て左手の岡の上に立つ女二人
・女のすぐ下が池。池の向ふ側が高い崖の木立(こだち)。其後ろが派出な赤錬瓦のゴシツク風建築物
・落ちかゝつた日が、凡ての向ふから横に光を透(とほ)してくる。女は此夕日に向いて立つている。
・三四郎のしやがんでゐる低い陰(かげ)から見ると岡の上は大変明るい。
・女の一人はまぼしいと見えて、団扇を額の所に翳(かざ)してゐる。顔はよく分らない。けれども着物の色、帯の色は鮮やかに分かつた。白い足袋の色も眼についた。鼻緒の色はとにかく草履を穿いてゐる事も分かつた。
・もう一人は真白。団扇も何も持つて居ない。額に少し皺を寄せて、対岸(むかふぎし)から生ひ被(かぶ)さりさうに、高く池の面(おもて)に枝を伸ばした古木の奥を眺めてゐた。
・団扇を持つた女は少し前へ出てゐる。白い方は一歩(ひとあし)土堤(どて)の縁(ふち)から退(さ)がつてゐる。三四郎が見ると、二人の姿が筋違ひに見える。
これらからわかることは、三四郎は暗い場所に静かにしゃがんでおり、夕日が当たって明るくまぶしい場所にいる女たちには、彼の存在は認識できていなかっただろうことだ。まるで三四郎は暗い客席に座り、ライトで明るく照らされたステージの上に美しい女性がふたり登場したようなものだ。闇から明は明らかに見通せるが、その逆は不可能だ。
また、三四郎はしゃがみ、女は美しい女優のように立つという位置関係は、この後のふたりの位置関係を決定してしまったといえるだろう。美禰子は優位に立ち、三四郎はそれに従うという関係。
美禰子は、手に団扇という小道具を持っている。舞台において小道具とその動きは、登場人物の心の様子までも表情豊かに表すものだ。この後彼女はもう一つの小道具も、大変効果的に利用する。そうしてそこにははっきりとした意図が込められる。
初めは女の表情がうかがえないことも、団扇の効果を十分に発揮している。「団扇を額の所に翳(かざ)してゐる」が、「顔はよく分らない」。三四郎と観客の視線は彼女に引き寄せられ、その素顔を見たいという衝動に駆られる。顔がよくわからないのに対し、「着物の色、帯の色は鮮やかに分かつた。白い足袋の色も眼についた。鼻緒の色はとにかく草履を穿いてゐる事も分かつた」というのがさらに効果的だ。相手の身なりははっきりわかる。そうであれば、それらを材料・手がかりとして、女の表情が豊かに想像されるだろう。見せるものとわざと見せないものの効果。美禰子は意図せず三四郎を誘惑している。
「団扇を持つた女は少し前へ出てゐる。白い方は一歩(ひとあし)土堤(どて)の縁(ふち)から退(さ)がつてゐる。三四郎が見ると、二人の姿が筋違ひに見える」からは、団扇を持った女が主で、白い方は従であることが分かる。
これらの観察・説明は語り手によってなされているのだが、ここでも三四郎の視線と一体となっている。つまり三四郎は、彼女たちを細かく観察していることが分かる。若い男が若い女を見れば当然そうなるだろうが、ここではそれに加え、女と三四郎が運命的な出会いをしたことを美しく描いているのだ。三四郎の心は、既に完全に美禰子に捉えられた。「三四郎は又 見惚(みとれ)てゐた」。一目ぼれ。
「すると白い方が動き出した。用事のある様な動き方ではなかつた。自分の足が何時(いつ)の間にか動いたといふ風であつた。見ると団扇を持つた女も何時の間にか又動いてゐる。二人は申し合せた様に用のない歩き方をして、坂を下りて来る」…ふたりで散歩をしている様子。夕日というライトから外れた美禰子は、この時既に三四郎の存在を認識していると私は考える。若者は、若い異性の存在に敏感であり、また、美禰子が三四郎に気づかないはずはない。彼女はそういう女性なのだ。だからこの後の彼女の所作は、すべて演技・意図的ということになる。
「三四郎は矢っ張り見てゐた」…好感を持った相手から視線が外せない三四郎。
「坂の下に石橋がある。渡らなければ真直に理科大学の方へ出る。渡れば水際(みづぎは)を伝つて此方(こつち)へ来る。二人は石橋を渡つた」
…目的のない散歩であれば、その道のりは随意ということになる。美禰子は三四郎を認識したからこそ、意図的・積極的に「石橋を渡った」のだ。「橋を渡る」ということは、とても象徴的な行為だ。美禰子と三四郎の縁が、これによって結ばれるからだ。
「団扇はもう翳(かざ)して居ない。左りの手に白い小さな花を持つて、それを嗅(か)ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下に宛(あて)がつた花を見ながら、歩くので、眼は伏せてゐる」
…美禰子は右手に団扇、「左りの手に白い小さな花」と、両手に小道具を持っている。演劇では両手に別の小道具を持つことはあまりないのだが、彼女はそれぞれをとても効果的に用いる。たとえば、「左りの手に」持つ「白い小さな花」を「嗅(か)」ぐというしぐさを、彼女は三四郎にわざと見せている。「嗅ぎながら、鼻の下に宛(あて)がつた花を見ながら、歩くので、眼は伏せてゐる」も、わざとそうすることで、三四郎に気づいていないそぶりをしているのだ。自分を演出し、三四郎との出会いを演出する美禰子。池の端にしゃがむ三四郎と、視線を伏せて白い花を嗅ぎながら彼に近づく美禰子の姿を、読者はイメージする。まだ人生に未熟な三四郎は気付かない。美禰子は演技しているのだということを。男はこうして女にからめとられていく。
「それで三四郎から一間許(いつけんばかり)の所へ来てひよいと留つた
…「三四郎から一間許(いつけんばかり)の所」も、「ひよいと留つた」も、すべて美禰子の計算だ。
「「是は何でせう」と云つて、仰向(あほむ)いた」
…美禰子は三四郎に自分の声を聞かせている。また、彼女の視線の角度の変化に、三四郎の目線もつられるだろう。ふたりは同じものを見るという体験を共有する。それを美禰子は三四郎に強いている。
「「是れは椎」と看護婦が云つた。丸で子供に物を教へる様であつた。
「さう。実は生(な)つてゐないの」と云ひながら、仰向いた顔を元へ戻す、其拍子に三四郎を一目見た」
…「其拍子に」は、偶然、たまたま、ということではない。彼女は、意図的・計算のもとに、この場面を演出している。ごく自然な形で、偶然に、三四郎を見たという演出。美禰子は既に、三四郎から自分に注がれる熱い視線を感じている。だから彼女が三四郎を見ればふたりの視線が交わることは、百も承知だ。 ふたりは、「一間許(いつけんばかり)」しか離れていない。
「三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した」
…うぶな三四郎は、その運命の瞬間に女は自分に心を移したから「黒眼」が「動」いたのだと捉えただろうが、そうではない。美禰子は自分の意志で黒眼を動かしている。それによって偶然の出会いを装い、それを必然に変えようとしている。現に三四郎はこれにより、はっきりと彼女とのつながりを認識した。彼女は自分に興味・好感を抱いたのだろうと。
つまり美禰子は、三四郎との出会いに感応して黒眼が動いたのではなく、初めから視線を合わせて黒眼を動かそうとしていたのだ。
いかにうぶな三四郎でも、このあまりにできすぎた場面設定に、勘が働く。「其時色彩の感じは悉(ことごと)く消えて、何とも云へぬ或物に出逢つた。其或物は汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云はれた時の感じと何所(どこ)か似通つてゐる」と。だから「三四郎は恐ろしくなつた」のだ。この部分は普通、それまで経験のない女性性に対しての、あこがれと怯えという風に解釈されるだろうが、それと同時に、まるで映画の一シーンかのようなできすぎ感への不審を本能的に感じたということもあるだろう。女性からの誘惑そのものへの怖れと、「汽車の女」と言い、この謎の女と言い、自分がこれまで経験したことのない設定に、二度も遭遇した不可思議さ。運命への不審とでも言うべきもの。
「汽車の女」の誘惑には、まさに手も足も出なかったという結果に陥った三四郎。彼は今回も、この謎の女の「物問ひたげに愁ひを含める目の」、「なにゆゑに一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか」(森鷗外「舞姫」)という状態になっている。しかし今回はまだその結果は出ていない。それにもかかわらず三四郎が、「汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云はれた時の感じと何所(どこ)か似通つてゐる」と考えるのは、結果を見ずとも同じような結果に至ることを予感しているからか。
女性からのまなざしの怖ろしさ。誘惑への対処の仕方がわからない経験不足。三四郎は、それらを強く感じている。
「二人の女は」、とまどい声もかけられない「三四郎の前を通り過ぎる」。「若い方が今迄嗅いで居た白い花を三四郎の前へ落して行つた。三四郎は二人の後姿を凝(じつ)と見詰めて居た」。
美禰子の意図を探ってみる。
「私はこんなにあなたにアピールしているのに、あなたはどうして声もかけないの? 勇気がないのかな? 見たところ、地方から来たばかりの新入生かしら。それじゃあしょうがないわね。まだうぶだもんね。東京の女にどう接していいかなんて、分からないよね。じゃあ、しょうがない。私からきっかけを作ってあげる。私が通り過ぎても、やっぱりあなたは私を見続けているはず。それじゃあ小道具の白い花を、わざとあなたの前に落としてあげる。この花の意味、分かるよね。ホント世話が焼ける人。早く声をかけなさい。「花が落ちましたよ」ぐらい言えないの? もう向こうに行っちゃうよ! 私もあなたに興味を持ったってこと、分かるでしょ!」
しかし三四郎には、何もできないのだった。これだけお膳立てしてもらったのに。
「看護婦は先へ行く。若い方が後から行く」…ここで美禰子が看護師の後ろを歩いているのは、少しでも三四郎に声をかけやすくしてあげるためだ。彼女はわざとゆっくり歩いている。三四郎に声をかけられるのを待っている。
だから三四郎は、「華やかな色の中に、白い薄(すゝき)を染め抜いた帯が見える。頭にも真白な薔薇を一つ挿さしてゐる。其薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪の中で際立つて光つてゐた」などと、美しい人をのんきに鑑賞していてはいけなかった。美の鑑賞の前に、まず、アプローチしなきゃいけない。彼も、漱石作品によく登場する「恐れる男」だ。
この場面の美禰子の様子を整理する。
・着物とその色については説明なし。
・華やかな色の中に、白い薄(すゝき)を染め抜いた帯
・白足袋
・草履
・団扇と白い花を手に持つ。花の香を嗅ぐ。
・頭に真白な薔薇を一つ挿さしてゐる。其薔薇が、黒い髪の中で際立つて光つている。
看護婦とともに散歩する美禰子。団扇と花をその手に持っている。帯は季節に合わせ、華やかな色の中に、白い薄(すゝき)が染め抜かれている。帯の白い薄模様、白足袋、手に持つ白い花、黒髪には真っ白なバラ。団扇と白い花は、自分を飾るための小道具だ。美禰子さん、完璧です。
なお、彼女が手に持つ白い花の種類が明示されない。「頭にも真白な薔薇を一つ挿さしてゐる」の「も」に着目するならば、手に持つ花「も」白薔薇ということになる。
手の白い花は、誰かからもらったものか。誰かを見舞いに来たのか。なぜ散歩しているのだろう。時間つぶしのためか。様々な疑問が三四郎にわいてくる。
〇白薔薇について調べてみました
「本数に縛られない白薔薇の花言葉は、「純粋」「深い尊敬」「相思相愛」「私はあなたにふさわしい」などがあげられます。白は何色にも侵されない神聖さを秘めた色として、女性の純粋さや純潔の象徴で使われる色です。また、ほかの色に遜色なく染まることができるため、古くから結婚式の象徴の色としても使われています。現在でも花嫁の持つ花束やコサージュによく白薔薇が使われるのはこのためでしょう。」
「1本の白薔薇には「ひとめぼれ」「あなたしか見えない」という花言葉が贈られています。シンプルで潔い花言葉ですね。白薔薇には相手を尊重して敬う気持ちが込められているので、好きな人や尊敬する相手に1本のバラをプレゼントするのもよいでしょう。」(白薔薇の花言葉とは?白色の品種や本数別の意味・上手な贈り方まで紹介 | BOTANICA)
この場面の解説にぴったりですね。
美禰子からのアプローチに対して、「三四郎は茫然(ぼんやり)してゐた」。女の行動の意味と意図を図りかねているからだ。
やがて彼は、「矛盾」を感じる。
・大学の空気とあの女が矛盾なのか…学問の府である大学という場所に、艶な若い女性がいて、しかも彼女から誘惑されたこと
・あの色彩とあの眼付が矛盾なのか…白の潔白・純粋さに対する艶な目つき
・あの女を見て、汽車の女を思ひ出したのが矛盾なのか…地方の女に対する東京の女
・未来に対する自分の方針が二途(ふたみち)に矛盾してゐるのか…静かな学問の道に進むのか、激烈なる現実社会に進むのか
・非常に嬉しいものに対して恐を抱く所が矛盾してゐるのか…美しいものに心惹かれる気持ちと恐れる気持ちが同時に存在することの矛盾
「――この田舎出の青年には、凡て解らなかつた。たゞ何だか矛盾であつた」
…三四郎は自分が発した「矛盾」の意味とその背景が分からなかったことを、語り手は指摘する。三四郎はまだ若い。東京の街と同様、彼も「普請中」(森鴎外)なのだ。
特にこの物語において、語り手=漱石は、その場面を分かりやすく説明してくれる。三四郎が感じた「矛盾」についても以上のような説明があるからこそ、我々読者は彼の心情を十分に理解することができる。普通であればこのような場面で「大学の」以降の部分は説明されないだろう。「そこから先は、読者の皆さん、自分で考えてね。それが読書の面白さだよ」と、作者は思うだろう。
従って、漱石は、読者に学生をイメージしてこの物語を描いているようにも思う。
「三四郎は女の落して行つた花を拾つた。さうして嗅(か)いで見た。けれども別段の香(にほひ)もなかつた。三四郎は此花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いてゐる」
…気になる女の残した「花を池の中へ投げ込」むという行為は、三四郎と美禰子の将来を暗示する。女が何度も嗅いでいた花には「別段の香(にほひ)もなかつた」。それは、彼女の嗅ぐというしぐさが単なるポーズだったことを表す。自分を魅惑するための行為。それに気づいた三四郎は、だから「花を池の中へ投げ込んだ」のだ。そこにはややバカにされた気持ちがあるだろうし、汽車の女と先の女に対する怒りに近い気持ちがあるだろう。物語終末部で三四郎は美禰子を精神的に捨て去る。
ところで、一般に、知らない女が落としていった花を拾い、しかもその香を嗅ぐだろうか。想像を逞しくすると、もし彼女がスパイか何かで、三四郎の命を狙っていたのだとしたら、三四郎は簡単に死んでいただろう。花を拾うところまでは理解できるが、それを自分の鼻先にまで持って行くという行為は、彼女への信頼がなければできない。
もちろんここは、そうしたくなるほど、美禰子の香を嗅ぐしぐさが強く記憶に残ったということを意味し、また、それだけ三四郎は、彼女に引き付けられたということを意味する。死をイメージさせる「白い花」に毒が盛られていなくて三四郎は助かった。
余談だが、もし私が作者だとしたら、この白い花に、その香を嗅いだ三四郎がめまいを起こすほどの濃厚な香りをつけるだろう。香りの記憶は強く長く続く。三四郎の心により深く自分の記憶を刻むのであれば、その方が効果的だからだ。その香を嗅げば彼女を思い出す。彼女を見ると、あの香が鼻先をくすぐる。そのように物語を構成する。
「すると突然向ふで自分の名を呼んだものがある」。野々宮君だ。
(今回は、「三四郎」の中でも有名であり、また読者に愛されている美しい場面なので、説明が長くなりました)